アイドルマスター シャイニーカラーズのCM出演者は誰?

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YOSHIKI、まさかのアイマスPに!? 「シャニマス」新CMでSポーズ

出演しているのは「X JAPAN(エックスジャパン)」の「YOSHIKI(ヨシキ)」さんです。

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ワイモバイルのCM出演者は誰?

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Y!mobile「Y!BAND結成」篇

Y!mobile「スイーツ弁当」篇

出演しているのは「芦田 愛菜(あしだ まな)」さん、「吉岡 里帆(よしおか りほ)」さん、「X JAPAN(エックスジャパン)」の「Toshl(トシ)」さん、「新垣 隆(にいがき たかし)」さんです。

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Toshl(トシ、本名:出山 利三〈でやま としみつ〉、1965年10月10日 – )は、日本のミュージシャン、ボーカリスト。ロックバンド・X JAPANのボーカリスト。血液型はA型。2010年2月、名前の表記をTOSHIからToshlに変更。 身長164cm。

作家として活動する場合の別名義は「龍玄とし」。愛称は「トシさん」、「トシちゃん」、「トシくん」。










新垣 隆(にいがき たかし、1970年9月1日 – )は、日本の作曲家、ピアニスト。桐朋学園大学音楽学部作曲専攻非常勤講師。2018年よりバンド・ジェニーハイのメンバーとしても活動している。




 

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きよらのCM出演者は誰?

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YOSHIKI、CMで“手料理”披露 ケチャップでサインも 「きよら グルメ仕立て」新CMが公開

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YOSHIKI(ヨシキ)さんプロフィール

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YOSHIKI(ヨシキ、本名:林 佳樹(はやし よしき)、1965年11月20日 – )は、日本のミュージシャン、ドラマー、マルチプレイヤー、ソングライター、音楽プロデューサー。身長175cm。 愛称は「よっちゃん」。















 

YOSHIKI
基本情報
出生名 林 佳樹(はやし よしき)[1]
別名 五十嵐美由姫
立花香流
橘朋実
白鳥瞳
白鳥龍
白鳥麗
生誕 1965年11月20日(53歳)
出身地 日本の旗 日本千葉県館山市
ジャンル ハードロック
ヘヴィメタル
ハードコア
トリップ・ホップ
ポップ
クラシック
職業 ミュージシャン
ドラマー
ピアニスト
キーボーディスト
ソングライター
編曲家
音楽プロデューサー
実業家
起業家
ファッションデザイナー
ラジオパーソナリティ
担当楽器 ドラムス
ピアノ
キーボード
ギター
シンセサイザー
活動期間 1989年 – 現在
レーベル ソニー
イーストワールド
プラチナム
V Project
X Project
事務所 ジャパンミュージックエージェンシー
YSKエンタテイメント
ウィリアム・モリス・エンデヴァー
共同作業者 X JAPAN
Violet UK
L・O・X
V2
globe extreme
S.K.I.N.
公式サイト www.yoshiki.net
著名使用楽器
カワイ・CR-40A
TAMA・アートスターII(クリア・アクリル)

 

概要

1989年にメジャー・デビューしたヴィジュアル系ロックバンド、X JAPANのドラマー/ピアニストとしての活動が著名であり、バンドのリーダー、メインコンポーザーも務めている。X JAPANのほかにもViolet UK、L・O・X、V2、globe extreme、S.K.I.N.などの参加がある。

ソロとしても3作のスタジオ・アルバム『Eternal Melody』(1993年)、『ETERNAL MELODY II』(2005年)、『YOSHIKI CLASSICAL』(2013年)を発表しており、これまでのソロとしての大きな仕事には『天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典』のための奉祝曲(1999年)、『日本国際博覧会(愛知万博)』の公式イメージ・ソング(2005年)、ゴールデングローブ賞の公式テーマ・ソング(2012年)などがある。

1986年に設立したインディーズのレコード会社「エクスタシーレコード」は、LUNA SEAやGLAY、ZI:KILLなどを輩出し、ヴィジュアル系ムーブメントのパイオニアの1つとなった。1993年からは他のアーティストのプロデュースも始め、これまでにNOA、GLAY、西城秀樹、北野井子、DIR EN GREY、工藤静香、ぽるんなどの作品を手がけている。

2000年に「日本社会と文化に貢献した人物」として文部大臣表彰を受けた。
経歴
生い立ち

1965年11月20日に、千葉県館山市の老舗呉服店を営む家庭の2人兄弟の長男として生まれる。父はジャズ・ピアノ、母は三味線、叔母は琴の演奏を嗜むなど音楽的な一面があった。また、父は先代から家業を継ぐまでプロのタップ・ダンサーであった。現在マネージメントを行っているのは5つ歳の離れた弟で元俳優の光樹。

幼少期は仕事で忙しい両親に代わり、主に家政婦が兄弟の面倒を見ていた。4歳になると父からピアノを買い与えられ、自宅そばのピアノ教室でクラシック・ピアノのレッスンを受け始める。日頃から父が購入するクラシック音楽のレコードを好んで聴き、8歳の時にシューベルトの交響曲第8番ロ短調「未完成」とベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調「運命」が収録されたレコードを初めて自分の小遣いで購入した。

病弱で重い小児喘息を患っていたために、小学校中学年になるまで頻繁に入退院を繰り返す生活を余儀なくされた。病室では父が見舞いに持参した子供向けの偉人伝を愛読し、とりわけ若くして難聴となりながらも数々の名曲を残したベートーヴェンの苦難の人生に対して強い興味を抱いた。
音楽との関わり

9歳頃からピアノで作曲をはじめ、10歳から14歳まで学校のブラスバンド部でトランペットを担当した。また中学から高校まではブラスバンド部と並行してサッカー部にも所属しており、チームの司令塔であるミッドフィールダーのポジションを担当していた。毎年、誕生日には楽器を買い与えられることが恒例で、トランペットを始めたのも10歳の誕生日に父から買ってもらったことがきっかけであったが、その翌年の8月に父を自殺により亡くした。34歳の若さであった。それまではクラシック音楽しか聴いていなかったが、行きつけのレコード店で偶然目にしたジャケットに惹かれて購入したキッスのシングル「ラヴ・ガン」と、母に頼み連れていってもらったキッスの『ロックンロール・オーバー・ツアー』の日本武道館公演をきっかけにロックに魅了され、11歳でドラムスを始めた。ちなみに、12歳でギターも始めたが、細かい作業が性に合わず早々に手を引いた。

11歳で初めての4人組バンド「DYNAMITE」(メンバーは小学校の同級生2人と幼馴染みでギターが弾けたToshl)を結成。当初はドラムスとボーカルを担当し、近所の貸しスタジオでキッスの楽曲を練習して腕を磨いていたが、声変わりが遅く高声しか出すことができなかったため、中学校に進学後、新たに同級生をボーカルに迎え、ドラムスに専念することとし、バンド名も「NOISE」に改称し、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルなどの楽曲を演奏した。

より複雑なリズムを叩くため、14歳の誕生日に母に頼んでダブル・ベースのドラムセットを手に入れ、同じくダブル・ベースを使うコージー・パウエルを手本にレインボーの曲「スターゲイザー」などをカバーし練習を積んだ。中学校の体育館で開かれた予餞会で初めてのステージを踏み、高校進学後もNOISEとしてレッド・ツェッペリンやUFO、レインボーなどの楽曲を学校の文化祭などで演奏した。
X JAPANの結成
詳細は「X JAPAN」を参照

1982年の夏、大学受験に専念するメンバーが離脱したNOISEを解散。当時はアイアン・メイデンのアルバム『鋼鉄の処女』や『キラーズ』に感化されており、ボーカルに転向したToshlと他校の生徒によるツインリードギター編成で、よりハードなロックを指向したバンド「X」(現在のX JAPAN)を新たに結成する。Xでは既存の楽曲の演奏だけでなくオリジナル楽曲の作曲も始め(Xのために初めて作曲した楽曲「I’LL KILL YOU」は、1985年にXの1作目のシングルとしてリリースされている)、演奏のレパートリーを着実に増やしていった。

高校3年から音楽大学を目指して本格的にピアノに打ち込み、受験用のプログラムを通して、ソルフェージュ、和声、楽典などの音楽理論を学んだ。受験勉強の合間にはXとしていくつかのバンド・コンテストに出場。ヤマハ主催のアマチュアのバンド・コンテスト『EastWest』の千葉県大会ではバンドとしての受賞こそ逃したものの、個人でベスト・ドラマー賞を受賞した。Toshlもまた、その後に参加したコンテストでベスト・ボーカル賞を受賞していた。このことにバンドとしての可能性に自信を深め、大学に進学せず東京でバンドを続ける決意を固めたことをToshlに告げられ、これに呼応し音楽大学への推薦入学が決まっていた道を断つ決心をした。

高校を卒業すると、本格的にバンド活動を行うためにToshlと共に上京。ライブ・ハウス時代には、Xが出演していたライブ・ハウス「神楽坂EXPLOSION」の店員がDoomのメンバーであった繋がりから、Doomの初ライブでヘルパーとしてドラムを叩いている。また、Xの活動と並行してLip CreamのNAOKI、ORANGEのACTとともにパンク・バンド「L・O・X」を結成して活動していた。

Xのレコードをリリースするため、1986年にインディーズのレコード会社「エクスタシーレコード」を設立。1988年に同社よりリリースしたXの1作目のアルバム『Vanishing Vision』はオリコンの週間チャートで最高19位を記録し、インディーズ・レーベルの作品として日本のメジャー・チャートにランクインした初めてのアルバムとなった。翌1989年にXの2作目のアルバム『BLUE BLOOD』でCBSソニーからメジャー・デビュー。年末には日本有線大賞の最優秀新人賞、全日本有線放送大賞の最優秀新人賞、第4回日本ゴールドディスク大賞の最優秀新人賞などを受賞した。X JAPANの1993年のアルバム『ART OF LIFE』からはバンドのプロデューサーも担っている。
ソロ活動(1991-99年)

1991年の10月31日にTMNの小室哲哉とともに記者会見を開き、2人で新ユニット「V2」を結成することを発表。12月5日に東京ベイNKホールでV2のコンサート『V2 SPECIAL LIVE VIRGINITY』を開催した。同年、初のソロ名義作として、自身の選曲によるクラシック音楽のコンピレーション・アルバム『Yoshiki Selection』を12月12日に発表。このアルバムは第6回日本ゴールドディスク大賞で洋楽アルバム賞(クラシック部門)を受賞した。

1992年にV2としてシングル「背徳の瞳〜Eyes of Venus〜」をリリース。また、ロサンゼルスに自身のレコーディング・スタジオと自宅を購入し、制作と生活の拠点をアメリカに移した。MIDIやシンクラヴィアなどコンピュータ・ベースの制作環境に関心を持ち、バンドの枠を超えたプロジェクト「Violet UK」を構想する。1992年7月23日に東芝EMIと初めてとなるソロ契約の締結を発表。7月30日に日本武道館で『YOSHIKI TALK LIVE at 武道館』を開催し、1993年にX JAPANの作品としてリリースされた自らの半生を描いた楽曲「ART OF LIFE」をピアノ協奏曲形式で初演した。また、年末にNHKホールで行われた『第43回NHK紅白歌合戦』の全出場歌手で歌う合唱曲「TEARS〜大地を濡らして〜」を作詞・作曲し、会場のパイプオルガンで伴奏した。「TEARS〜大地を濡らして〜」もまた、X JAPANのシングル「Tears」として1993年にリメイクされた。東芝EMIからは、ビートルズのプロデューサーとして知られるジョージ・マーティンとのジョイント・プロジェクトとして、アルバム『Eternal Melody』と、シングル「Amethyst」が1993年にリリースされた。ジョージ・マーティンは日本武道館での「ART OF LIFE」の演奏をビデオを観てプロデュースを快諾した。1993年にはTBS系で10月から放送されたドラマ『徹底的に愛は…』の主題歌としてNOAのシングル「今を抱きしめて」をプロデュースし、第36回日本レコード大賞で優秀賞を受賞した。

1994年にはクイーンのドラマーであるロジャー・テイラーとのコラボレーション・シングル「Foreign Sand」をリリースし、2人は国連UNESCOの呼びかけによりにより催された『GME ’94 〜21世紀への音楽遺産をめざして〜 AONIYOSHI』で共演した。また、キッスのトリビュート・アルバム『トリビュート -KISS MY ASS-』に、ピアノ協奏曲にアレンジした「ブラック・ダイヤモンド」で参加した。同年にメジャー・レーベル「プラチナム・レコード」を設立し、GLAYをメジャー・デビューさせた。同レーベルからは、1996年に自身2作目となるクラシック音楽のコンピレーション・アルバム『Yoshiki Selection II』もリリースされた。

1997年4月20日にボーカリストのToshlがX JAPANを脱退。同年9月22日に都ホテル東京で記者会見を開き、X JAPANの解散を発表した。2000年に新たなボーカリストを加えた形で再結成することや、自身も日本やアメリカで音楽プロデューサーとして本格的に活動することを予定していたが、1998年5月2日にギタリストのHIDEが急逝したことで精神的に落ち込み、頓挫。北野井子やDIR EN GREYのプロデュースを手がけるものの、表舞台には一切上がらずにいた。そんな中、『天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典』の奉祝曲の制作依頼を受け、1999年11月12日に皇居前広場で行われた式典で作曲したピアノ協奏曲「Anniversary」を演奏。この時に受けた歓声が再起の契機となった。
ソロ活動(2000-09年)
『オタコン2006』でサインに応じるYOSHIKI。

2000年6月にメジャー・レーベル「エクスタシー・ジャパン」の設立を発表。Shiroや、BEAST、Revenusなど、レーベル所属のアーティストのデビューに携わった。また1998年2月にロサンゼルスに設立したレーベル「エクスタシー・レコード・インターナショナル」に所属する、アバンダンド・プールズ、ローラ・ドーン、キドニーシーヴスらのアルバムをプロデュースした。Violet UKの制作も再開し、自ら出演し、演出も手がけたセブン-イレブン・ジャパンの企業イメージCFに「Confusion」「The Other Side」「Blind Dance」の3曲を使用した。Violet UKとしては1998年公開の映画『イン・ゴッズ・ハンズ』に楽曲「sane」を提供している。2000年11月1日には、東京国際フォーラムで開催された松任谷由実のコンサート『Brothers & Sisters』にゲスト出演し、「翳りゆく部屋」をピアノで伴奏した。

2002年9月1日、お台場で行なわれたライブ・イベント『a-nation avex SUMMER FESTA 2002』のステージでglobeに加入することを発表(2005年にYOSHIKIを加えての活動の際の名称がglobe extremeになることが発表された)が、今のところ活動の実態は無く、小室流ジョークとも言われている。同年12月に東京国際フォーラムで『YOSHIKIシンフォニックコンサート2002 with 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 featuring VIOLET UK』を開催。弦楽器に比重が置かれた16型編成のオーケストラを藤原いくろうとコンスタンチン・D・クリメッツが指揮したこのコンサートには、Violet UKからドーターとニコール・シャージンガーも参加し、ニコールは「I’ll Be Your Love」の英語バージョンを歌った。「I’ll Be Your Love」は2005年日本国際博覧会「愛・地球博」の公式イメージ・ソングとして、YOSHIKIが抜擢したハワイ出身の歌手・DAHLIAが歌ったものがシングルとして2003年10月29日にリリースされた。ニコールが歌う英語バージョンは、同年9月26日にリリースされた愛知万博の公式アルバム『「愛・地球博」presents GLOBAL HARMONY』に収録された。

2003年2月1日に放送された、NHKのテレビ放送50周年記念番組『あなたとともに50年 今日はテレビの誕生日』のエンディング・テーマとして、チョ・ソンモと島袋寛子が歌う「君だけだから」を作曲し、番組ではピアノで伴奏した。2004年には宝塚歌劇花組公演『TAKARAZUKA舞夢!』で春野寿美礼が歌う「世界の終りの夜に」を作曲。また、エイベックスを介して依頼を受けた韓国のロック・バンド「TRAX」の日本デビュー・シングル「Scorpio」をプロデュースした。

2005年には愛知万博の開会式でEXPOスーパーワールドオーケストラが演奏する「I’ll Be Your Love」のクラシック・アレンジバージョンを指揮した。事前にヘルベルト・フォン・カラヤンや、レナード・バーンスタイン、小澤征爾らのビデオを観てトレーニングを積んだ。また、シェリー・バーグや川本統脩から本格的な指導を受けたほか、佐渡裕からもアドバイスを受けて指揮に臨んだ。同年、2作目となるクラシック・アルバム『ETERNAL MELODY II』と、『YOSHIKIシンフォニックコンサート2002 with 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 featuring VIOLET UK』のライブDVDを、2003年2月に専属契約を結んだコロムビアミュージックエンタテインメントからリリースした。

2006年には、劇場長編アニメーション映画『ベルサイユのばら』の音楽を担当すると発表。同年8月5日にボルチモアで開催されたアニメ・コンベンション『オタコン2006』に特別ゲストとして招かれた。

2007年には、5月25日と26日にロサンゼルスのウィルターン・シアターで『J-Rock Revolution Festival』を主宰。GACKT、SUGIZO、雅-miyavi-とのロック・バンド「S.K.I.N.」の結成と、同年6月にロングビーチで開催される『Anime Expo 2007』において、S.K.I.N.としての初めてのライブを行うと発表した。また、2007年公開のアメリカ映画『カタコンベ』や『ソウ4』の主題歌を制作したほか、2008年公開のアメリカ映画『REPO! レポ』の音楽総監督や製作総指揮を務めた。『ソウ4』の主題歌には、Toshlとの約8年ぶりの再会をきっかけに再結成に向けて動き出していたX JAPANの楽曲「I.V.」が使用され、2007年10月18日にX JAPANは公式ウェブサイトで再結成を発表した。

2008年には、日本テレビ開局55年記念ドラマ『東京大空襲』の主題歌として、秋川雅史が歌う「愛する人よ」を制作したほか、黒澤明生誕100年祭『AK100 Project』の音楽プロデューサーを務めると発表した。2009年には、日本テレビ系情報番組『ズームイン!!SUPER』の天気コーナーに「BLUE SKY HEAVEN」を提供した。
ソロ活動(2010年-現在)

2010年2月24日に、東京の赤坂BLITZでToshlのコンサート『Toshl LAST CONCERT”武士JAPAN”』をプロデュースし、ゲスト・ミュージシャンとしてピアノで参加した。

2011年5月からアメリカの衛星ラジオ局「シリウスXM」のハード・ロック専門チャンネル「ザ・ボーンヤード」で『YOSHIKIラジオ』と題した音楽番組のホストを務め、自身が影響受けた音楽やアニメなどの日本の大衆文化を紹介した。月1回の1時間番組で、1回目の5月27日のみ東部時間20時からが放送され、2回目となる6月5日から7回目の11月6日までは毎月第1日曜日の東部時間21時から放送された。2010年10月10日に行われたX JAPANのニューヨーク公演を見て関心を持ったラジオ局の関係者が、新番組の依頼をしたことがきっかけとなった。

2012年にはハリウッド外国人映画記者協会からゴールデングローブ賞の公式テーマ・ソングの制作依頼を受け、制作した楽曲「ゴールデングローブのテーマ」が第69回ゴールデングローブ賞の授賞式から使用されている。同楽曲は2013年1月にiTunes Storeを通じて、ソロ名義では初めて全世界111ヶ国に配信された。同年8月27日には『Eternal Melody』と『ETERNAL MELODY II』の収録曲に、「ゴールデングローブのテーマ」とX JAPANのワールド・ツアーのオープニングで使用された新曲「Miracle」を加えたベスト・アルバム『YOSHIKI CLASSICAL』をリリースした。アルバムの発売を記念して、前日の26日にロサンゼルスのグラミー・ミュージアムで『An Evening with Yoshiki』と題されたショーケースを行い、その模様はニコニコ生放送とUstreamで生中継された。
グラミー・ミュージアムでピアノを演奏するYOSHIKI(2014年)

2014年2月19日にグラミー・ミュージアムでソロ公演を兼ねた記者会見を開き、ソロとしては初めてとなるワールド・ツアー『YOSHIKI CLASSICAL WORLD TOUR』を開催すると発表。ツアーでは4月25日のカリフォルニア州コスタメサを皮切りに、アメリカ、メキシコ、ロシア、ドイツ、フランス、イギリス、中国、タイ、台湾、日本を廻り、同年公開のアニメーション映画『聖闘士星矢 Legend of Sanctuary』の主題歌として制作した楽曲「Hero (Yoshiki Classical Version)」も披露した。グラミー・ミュージアムでは会見当日から、アジアのアーティストとしては初めて愛用のピアノやステージ衣装などが展示された。

2014年3月14日には、テキサス州オースティンで開催された音楽コンベンション『SXSW』に出演。イベント終了後に行われたアフター・パーティでは会場にピアノを2台設置して、自身のホログラムとの連弾を披露した。同年7月4日、毎年パリで開催されている日本の大衆文化を紹介するコンベンション『Japan Expo 2007』に参加し、ソロ・コンサートを開催。途中、ゲストにイラストレーターの岩元辰郎を迎え入れ、ピアノ演奏と絵画の即興のコラボレーションを披露した。 同年8月15日、16日にグランドハイアット東京にて自身初となるディナーショー「EVENING WITH YOSHIKI IN TOKYO 2014」を開催。同年10月29日にロサンゼルス現代美術館のザ・ゲフィン・コンテポラリーで行われた、サンリオのキャラクター「ハローキティ」のコンベンション『Hello Kitty Con 2014』に出演。会場の特設ステージで、ハローキティのデザイナーである山口裕子から依頼を受けて制作したハローキティの公式テーマ・ソング「HELLO HELLO」(仮タイトル)を初披露した。
X JAPAN – ニューヨークMSG公演(2014年10月)

2015年3月11日に、バラエティ番組『中居正広のミになる図書館』でのX JAPANに関わる内容が放送された回について、「たまたま見てしまいました。真実と異なる事や、編集等、色々と思う事があり、少し傷つきました」と発言し、さらに「今ファンのみんなをがっかりさせないように世界に向かって命がけで頑張っています」との意思表明を示した。 同年5月30日、31日に開催されたGLAYの東京ドーム公演『20th Anniversary Final GLAY in TOKYO DOME 2015 Miracle Music Hunt Forever』の2日目にスペシャル・ゲストとして登場し、1994年にプロデュースしたGLAYのメジャー・デビュー曲「RAIN」で共演した。 同年8月14日、15日にグランドハイアット東京にて2年目となるディナーショー「EVENING WITH YOSHIKI IN TOKYO JAPAN 2015」を開催。追加公演の「BREAKFAST(LUNCH)WITH YOSHIKI IN TOKYO JAPAN 2015」を合わせ2日間で計3公演を開催。

2016年8月30日、31日にザ・リッツ・カールトン大阪、9月2日、3日にグランドハイアット東京にて3年目となるディナーショー「EVENING WITH YOSHIKI 2016 IN OSAKA & TOKYO JAPAN」を開催。(※BREAKFAST SHOW含む全5公演。)大阪では初開催。 同年10月12日、世界初となったキッス(KISS)のオフィシャル展覧会「KISS EXPO TOKYO 2016 ~地獄の博覧会~」に来場。一般への公開日前日に訪れたYOSHIKIを、ジーン・シモンズ自らがエスコートした。

2017年5月10日、自身のホームページで、頚椎椎間孔狭窄症による首の頸椎の人工椎間板の置換の緊急手術を行うことを公表した。同年5月16日、ロサンゼルスのシーダースサイナイ病院(英語版)にて緊急手術が行われ、手術は無事に成功した。

同年8月26日、27日の名古屋マリオットアソシアホテルでの公演を皮切りに、29日、30日にザ・リッツ・カールトン大阪、9月1日、2日にグランドハイアット東京にて4年目となるディナーショー「EVENING WITH YOSHIKI 2017 IN NAGOYA & OSAKA & TOKYO JAPAN」を開催。(※BREAKFAST SHOW含む全7公演。)名古屋では初開催となった。 。

2018年7月にアニメ深夜!天才バカボンにYOSHIKIが登場。声はYOSHIKI本人ではない。7月9日、テレビアニメ「進撃の巨人」第3期のオープニングテーマ「Red Swan」を「X JAPAN feat. HYDE」が担当と発表されていたが、7月21日、アーティストの意向により担当アーティストを「YOSHIKI feat. HYDE」へとクレジットの変更と発表された。

2018年7月28日、フジロックのスクリレックスのステージにゲスト参加した。クリスタルピアノで「ENDLESS RAIN」を演奏し、スクリレックスの代表曲「Scary Monsters And Nice Sprites」ではドラムで参戦するなど、EDMサウンドにクラシックとロックを融合させたステージを披露した。なお、今回のサプライズコラボは、スクリレックスからのオファーをYOSHIKIが快諾したことにより実現した。

2018年9月8日、アキタ「きよら グルメ仕立て」の新CMに出演。

2019年8月2日、パシフィコ横浜にて行われたRakuten OPTIMISM 2019のビジネスカンファレンスに13:00頃から対談ゲストとして登壇、20年来の友人である楽天創業者の三木谷浩史と5G時代のコンテンツの在り方について対談した。その中で本人は、5G以後に実現されるストリーミング中心の世界に備えて、音楽業界の在り方を変えるような重大発表を行う予定とした。15:00からは同会場にて関係者向けのシークレットライブとしてRakuten YOSHIKI Nightを行った。21:00からはニコニコ動画のYOSHIKI CHANNELで第一弾の重大発表を行う予定だったが、生放送中に関係者との調整が不十分であることが本人に伝えられ、延期となった。イベント出演に合わせて、前日にロサンゼルスから来日していた。

2019年8月3日、パシフィコ横浜にて、YOSHIKIファンクラブ会員と楽天会員向けのRakuten YOSHIKI Nightに出演した。ライブ後の囲み取材ではアルバム関連の発表を近い将来に行うことと、製作中のドキュメンタリー映画が7割程度出来上がっていることなどを公表した。

2019年8月9日、グランドハイアット東京でのディナーショーでカーテンコールへ登場した際、押し寄せてきたファン達に何度か手を強く握られて右手首と左手薬指を捻挫し、激しい痛みが続いた。また、医師からは「手首のじん帯が100%完全に切れている状態」と診断され手術を勧められているがショーを強行した。
音楽性
作詞

「作詞には作曲と同じ、もしくはそれ以上の時間を僕は割いている」とし、自身の歌詞については「『とても抽象的な表現をしているようで、実は核心に突き刺さっている詞』『結論・到達点のない詞』が好きでその表現ができる様にする」「死について語っている詞が多いと思う」と語っている。

一方で歌詞の悲観性や自虐性については、「ポジティヴなエネルギーってネガテヴィティによって引き立つと思うんですよ」「悲しみなり毒をずっと表現したときにポッと美を出すと、それがすごいポジティヴに感じる」と、肯定的なエネルギーを引き立たせるための逆説的なアプローチであると説明している。最初に作詞をしたのは高校時代で、Xの「I’LL KILL YOU」であった。作風によって作詞のクレジットで「五十嵐美由姫」「橘朋実」「白鳥瞳」「白鳥龍」などのペンネームを使うこともある。
作曲

1曲が300小節あるとして、その内のサビの16小節を考えて、その時は「素晴らしい曲ができた」と思ってもすぐに「違う曲を作ってしまった」とその都度思う。それを回避するために全体を見回すようにやっても、いつも1,2小節に嵌り込んで行く。所属レーベルから「一刻も何とかして欲しい」と製作費・スケジュール等を指摘されても、客観的に見れない。そもそも「どの様に作ったらファンが喜び、数字を稼げるか」より、「どんなメロディだったら自分とメンバーが喜び、惹かれるか」ありきで作曲している。プロモーションの段階では、どんなに筋の通っていない矛盾したコンセプトでも「このアルバムの中の曲はこのテーマで行く」と周囲を言い負かせるようにできる準備をする姿勢で行っている。

クラシック、ロック、ポップなどのジャンルに関わらず、作曲をするときは楽器を使わずにベース・ストリングス・ドラム・ピアノ・ギターを別々にした全てのパートを直接譜面に書いている。1991年の小室哲哉とV2での活動以降は「”電気の音”も鳴るようになった」と語っている。

基本は待つ姿勢で臨み、玄関も開けずカーテンも閉じて外の天気もわからない部屋に閉じこもりながら、机の上に譜面を置いて、ペンを持ちながら呆ける。その理由として「頭の中のイメージを音にする時は音が邪魔なときがある。自分を極限まで追い込むことで、『自分が作っている』という気持ちの状態から生まれてくる自分の音が好き」「譜面だけで書くと制約がないんです。ピアノで作ると、指グセがあったりと制約ができてきちゃう。それはギターも一緒ですけど、譜面だとそれが無いんです。だから逆に譜面の方が自由にできる」と語っている。絶対音感を持っており、ペンと譜面さえあれば作曲ができるため移動中に飛行機の機内で作曲することもある。

インディーズ時代にライブ・ハウスで曲と曲の合間に冗談のつもりでピアノでクラシックを弾いたところ、その意外性が思いのほか受け、それをきっかけにピアノとギターやドラムなどを絡めようと意図的に作曲するようになった。X JAPANの楽曲にピアノを取り入れたのは1作目のアルバム『Vanishing Vision』の収録曲「ALIVE」が最初で、ベートーヴェンの「月光ソナタ」のフレーズが使われている。ハードなサウンドの中にピアノを取り入れる手法はX JAPANの楽曲の特徴の1つになっている。

1992年からジャズ・ピアノとオーケストレーションを学びを始め、ディック・マークスやシェリー・バーグに師事。ストリングスへの理解を深めるためにヴァイオリンにも挑戦した。ジョージ・マーティンとのジョイント・プロジェクトとして1993年に発表したアルバム『Eternal Melody』の制作では、オーケストレーションについて詳密に理解していなかったために自分の意見が説明できず悔しい思いをしたが、「真のレジェンドからオーケストレーションについて多くのことを学んだ」とし、ジョージ・マーティンとの仕事が大きな影響になったと語っている。キッスの1994年のトリビュート・アルバム『トリビュート -KISS MY ASS-』に収録された「ブラック・ダイヤモンド」のピアノ協奏曲アレンジでは、初めて1人でオーケストレーションを全て手がけた。「オーケストラと仕事をするようになって以降は、X JAPANなどのロック・バンドにおいても「小規模なオーケストラ」という視点で作曲するようになった」と語っている。
編曲

必ずしも自分の頭の中の完成形に拘らずに、他のメンバーのイメージやアイディアを尊重し、ドラムパートだけでも7,8パターン制作した後にどれが良いかを聞く。音色もフレーズやタイミングと同列に重視しているが、言葉で伝えるのは難しいため、絵を描いて指定する場合もある。ただ、事前に「誰が弾くのか?」「あの人のあの曲のイメージは?」と楽器を担当するメンバーの本質を考慮することは全く無く、メロディを制作した後に「寧ろ自分が担当できたら着きたい」と思うものを選定する。それ故にメロディが先にできることもあれば、アレンジされた音色が出てくることもあり、いざ完成すると「全編ストリングスのみで構成されていた」「X JAPANでやることすら意識していなかった」出来上がりになっていたケースが多い。
影響
ドラマーを志すきっかけになったキッスのピーター・クリス。

産経新聞のインタビューで、最も影響を受けたアルバムを聞かれ、キッスの『地獄の狂獣 キッス・ライヴ』、レッド・ツェッペリンの『レッド・ツェッペリン IV』、アイアン・メイデンの『キラーズ』の3作を挙げた。アイアン・メイデンに関しては初期の作品のパンク性に影響を受け、その後パンク・ロックに「もともと聴いていた音楽に戻れないぐらい」のめり込んでいくきっかけになった。1984年に上京してXのバンドのメンバーを探していた時期は、エクスプロイテッドやカオスUK、ディスチャージ、G.I.S.M.、GAUZEなどイギリスや日本のパンク・バンドに傾倒していた。影響を受けたドラマーにはキッスのピーター・クリスを挙げ、11歳の時にキッスの日本武道館公演でクリスを見てドラマーを志したと語っている。そのほか、好きなドラマーとして村上秀一、青山純、樋口宗孝、湊雅史、ジョン・ボーナム、ラーズ・ウルリッヒ、ニール・パート、サイモン・フィリップス、ジェイ・ワインバーグ、ザ・レヴ、ポール・クック、ニコ・マクブレインを挙げている。

初めて購入したレコードであるシューベルトの交響曲第8番ロ短調「未完成」とベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調「運命」が収録されたアルバムには、ロック・グループと同じぐらいの影響を受けたという。自身の半生を描いたという楽曲「ART OF LIFE」では、そのシューベルトの「未完成」のフレーズが使われている。

影響を受けた作曲家にはバッハを挙げ、あえて影響を匂わせた作品を入れたり対旋律などの手法を引用していると語っている。X JAPANの1989年のアルバム『BLUE BLOOD』に収録されている「ROSE OF PAIN」では、バッハの「小フーガ」のフレーズが随所で使われている。1997年のインタビューではシェーンベルクなどの近現代の作曲家に最近は影響を受けていると語っており、自身の人生に大きな影審を与えた曲を中心に選曲したクラシック音楽のコンピレーション・アルバム『Yoshiki Selection II』(1996年)には、シェーンベルグの弟子にあたるベルクの『抒情組曲』も収録された。最も好きなクラシックの作曲家としては、チャイコフスキーとモーツァルト、交響曲ではベートーヴェンとシューベルト、ピアノ協奏曲ではラフマニノフ、ピアノ独奏曲ではショパンを挙げている。好きなピアニストとしてジョージ・ウィンストン、キース・ジャレット、ホロヴィッツ、三柴理を挙げている。キース・ジャレットに関しては1975年のライブ・アルバム『ザ・ケルン・コンサート』に影響を受け、ジャズの理論やインプロビゼーションを学び始めるきっかけになった。

ダンス・ミュージックにおいて最も影響を受けたのはトリップ・ホップで、Violet UKにおいてダンス・ミュージックの要素が強まるきっかけとなったと語っている。特に影響を受けたトリップ・ホップのアーティストにマッシヴ・アタック、トリッキー、ポーティスヘッドを挙げている。
使用楽器
ピアノ
カワイ・CR-40A。
シグネチャー・モデルのピアノ。

1990年までのステージではスペースの都合でアコースティック・ピアノが使えなかったため、ローランドのエレクトリック・ピアノ「RD-1000」を使用していた。ピアノ以外にもチェンバロなどに音色を変えて演奏する事も多かった。

1991年以降のステージでは、外装部分が透明アクリル樹脂で出来ているカワイのクリスタル・ピアノ「CR-40A」を主に使用している。東京の自宅では特注したMIDI仕様のCR-40Aを置いている。2011年のX JAPANのヨーロッパ・ツアーと中南米ツアーではCR-30を使用した。1993年にはカワイのフルコンサート・ピアノ「GS-100」をベースにしたシグネーチャー・モデルが製作された。幼少から自宅のカワイのピアノで練習をしていたことからカワイのタッチに慣れており、レコード会社とエンシノの自宅にもそれぞれカワイのピアノを置いている。1997年のテレビ出演時にはカワイのシンセサイザー「K5000W」を使用した。

レコーディング・スタジオには、カワイ・RX、ヤマハのフルコンサート・ピアノとMIDIピアノ、スタインウェイのフルコンサート・ピアノが置かれている。スタインウェイのフルコンサート・ピアノはカーネギー・ホールで使われていたものを買い取ったもので、著名なアーティストのオートグラフが数多く入っている。MIDIマスター・キーボードには、コルグ・T1やドイプファー・LMK4+などを使用している。長い時間手首に負担がかかる角度でスタジオのキーボードを弾いて以来、慢性的な腱鞘炎を患っており、8時間を超えるピアノの練習にはドクターストップがかかる。
ドラムセット
TAMAの “クリスタル・ドラム” とYOSHIKI(2011年、サンパウロ)。

TAMA(星野楽器)の2バス (16″x24″, 16″x24″)、スネア (6.5″x14″)、2フロア (16″x16″, 16″x18″)、4タムタム (10″x10″, 12″x12″, 13″x13″, 14″x14″) を基本構成に、パワー感を重視するレコーディング用と、ビジュアル・インパクトを重視するステージ用とを使い分けている。X JAPANの1991年のアルバム『Jealousy』のレコーディングからは、TAMAのチタン・シェルのカスタム・セットをラック・システムで使用。チタン特有のドライな音を補うため、比較的薄いドラムヘッドに付け替えている。X JAPANの1996年のアルバム『DAHLIA』では、オン・マイクで拾ったスネア・ドラムとバス・ドラムの音をライブ・ルームにセットした大型のPAスピーカーからルーム全体に流し、部屋鳴りも同時にルーム・マイクで録るシステムを採用した。この手法によって、オン・マイクのアタック感と、通常のドラム・レコーディングでは得られない奥行きのある部屋鳴りをミックスしている。

インディーズ時代のステージでは、パールのドラム・セットにロートタムをセットしていた。TAMAとの契約したメジャー・デビュー以降のステージでは、通称 “クリスタル・ドラム” と呼ばれているTAMA・アートスターII(クリア・アクリル)をメイン・キットとして使用している。「照明によって何色にでも光る」という理由でTAMAに特注したもので、1990年(ロックスターと同様の仕様)と1996年(アートスターESシリーズ)に台数限定で市販もされた。しかし、シェルがアクリル樹脂素材のため、「強く叩かないと鳴らない」という弱点がある。ライブ序盤で使用され、ドラム破壊パフォーマンスにも使用されるサブ・キットには、バーチ・シェルのTAMA・グランスター・カスタムや、メイプル・シェルのTAMA・アートスター・カスタムなどを使用。初期はレッド、以降はロック・クロームのカラーリングが施されている。ドラムヘッドはエヴァンス。フット・ペダルにはヤマハのベルト・タイプ「FP-910」を使用。シンバル系は初期はパールのWILDシリーズを使用していたが、後にジルジャンに統一された。ハイハット・スタンドはTAMAのIRON COBRA HH805。
シグネチャー・モデルのドラム・スティック「TAMA・H-YKB」。

ドラムスティックはTAMAから市販もされている自身のシグネチャー・モデル「H-YKB」を使用している。ヒッコリー材でチップはボールタイプ。全長:398 mm、径:14.25 mm。ショルダー部分が比較的太く、先端にウエイトが置かれている。TAMAからは汗による滑りを防止する特殊塗装マティロを採用したドラム・スティック「H-YKM」と、シグネチャー・モデルのティック・ケース「TB-YK」も販売されている。X JAPANのシングル「JADE」のミュージック・ビデオでは、パールの110Hや、110HBを使用している。

デビュー当時の激しいヘッドバンギングなどをしながらドラムを叩く演奏スタイルで首や頚椎を痛め、頚椎椎間板ヘルニアや神経循環無力症(心臓神経症)などを発症している。こうした身体の故障でこれまでに何度もライブの中止や延期を引き起こし、X JAPANの全国ツアー『DAHLIA TOUR 1995-1996』で倒れた際には、「次に痛みが出たら車椅子生活になる」と医師から宣告された。再発防止のために筋肉で骨を補強するようスポーツ専門家から勧められ自宅にジムを作って筋肉トレーニングに励むようになり、回復後に行われたライブ『DAHLIA TOUR FINAL 1996』以降は首に頚椎固定用のコルセットを着用してドラムを叩くようになった。X JAPANの2009年のワールド・ツアーでヘルニアを悪化させ椎間孔切除の手術を受けたが、ほかの頚椎間や腰にも損傷が判明したため3年以内に再手術が必要であると医師から宣告された。
ギター

Violet UKではレコーディングのほか、ステージでもギターを弾くことがある。1992年10月にフェルナンデスによるシグネチャー・モデル「Burny BG-125X」が製作され、同年12月から市販もされた。ピックアップはフェルナンデスのTHD-1がフロントとリアに付けられている。ブリッジはオクターブ調整が可能なバダス・タイプ。B.C.リッチのBICHを基にしたマホガニーのボディーにはバラが描かれており、ネックの12フレットにはネーム入りのブロック・インレイが埋め込まれている。2000年8月には、Violet UK用にフェルナンデスによる同じBG-タイプのオリジナル・モデルが製作された。ピックアップにはフロントにサスティナー・ドライバー、リアにフェルナンデスのVH-401がマウントされた。2002年のインタビューではレコーディングで使用しているアイバニーズの7弦ギターについて「それなしではViolet UKのレコーディングはできなかったというぐらい大活躍している」と語っている。
慈善活動
YOSHIKI(左端)とジョン・ルース(右から2人目)。2010年独立記念日パーティーにて。

幼くして父を亡くした経験から、とりわけ遺児救済に関わる活動に積極的である。2009年1月16日のX JAPANの香港公演『X JAPAN WORLD TOUR LIVE IN HONG KONG』では200人の孤児をコンサートに招待し、地元の非営利団体「仁愛堂」にコンサート収益の一部を寄付。2009年3月29日から3日間、中国政府の要請により四川大地震の被災地と孤児院を慰問し、仮設校舎の敷地内に音楽室を建て、ピアノやオルガン、木琴などさまざまな楽器も寄贈した。1995年には阪神・淡路大震災の被災地の小中学校にピアノを10台寄贈している。

2010年7月1日、基金「Yoshiki Foundation America」を設立。遺児の保護や難病を抱えた子供の救済などを目的とし、より継続的な支援を目標に掲げた。この基金の設立にあたり、グラミー・ファンデーション、聖ヴィンセント・ミールズ・オン・ホイールズ、メイク・ア・ウィッシュ・オブ・アメリカに、それぞれに寄付した。ナショナル・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ・アンド・サイエンスが運営するグラミー・ファンデーションとは共同で、楽器の購入支援、音楽レッスンの提供、音楽関連のイベントへの参加支援など、音楽を通じた支援活動を予定している。Yoshiki Foundation Americaはカリフォルニア州のNPO(非営利公益法人)として、内国歳入法501条(c)3項の認可を受けている。

2011年3月11日に発生した東日本大震災の被災者のためにYahoo! JAPANのチャリティ・オークションにX JAPANのコンサートで使用したカワイのクリスタル・ピアノ「CR-40A」や愛用品を出品し、落札金額を日本赤十字社に全額寄付した。ピアノは同年4月28日に ¥11,001,000 で落札された。また、交流のあるハリウッドの著名人にも被災地の義援金協力を呼びかけ、マリリン・マンソン、アンソニー・キーディス、スタン・リー、ロバート・パティンソン、ジェームズ・フランコ、リース・ウィザースプーンなどが寄付を申し出た。

2012年9月7日にアメリカ最大のボランティア支援団体「ポインツ・オブ・ライト財団」が開催したイベントに、在アメリカ合衆国特命全権大使の藤崎一郎に招待され出席。慈善団体への募金を目的に開催されたチャリティ・オークションにプライベートでディナーをともにできる「プライベート・ディナー権」を出品し、その落札金を寄付すると発表した。オークションは2週間後の9月21日に終了し、$37,100 (US) で落札された。同年10月26日には、一般財団法人メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパンの20周年を記念したYahoo! JAPANのチャリティ・オークションに、Yoshiki Foundation Americaを通じて「YOSHIKIのピアノでX JAPANの曲を歌う権利」を出品し、その落札額を寄付すると発表した。¥3,005,000 で落札され、2014年4月にロサンゼルスで実施された。

2013年1月にリリースしたゴールデングローブ賞の公式テーマ・ソング「ゴールデングローブのテーマ」の収益の全額を、同賞の主催者であるハリウッド外国人映画記者協会を通じて慈善団体などに寄付すると発表した。

2014年11月20日に、Yoshiki Foundation Americaとグラミー・ファンデーション・ミュージケアーズを通じて「プライベート・ディナー権」をオークション・サイト「Charitybuzz」に出品し、その落札額をミュージケアーズに寄付すると発表した。オークションは12月10日に終了し、上位2人が落札した。合計落札額は $62,000 (US) であった。

2016年に発生した熊本地震の被災者支援の義援金として、『Yoshiki Foundation America』を通じて、日本赤十字社の『平成28年熊本地震災害義援金』に1000万円を寄付した。また、1994年にアメリカで起きたロサンゼルス地震を経験し[注 1]、当時被災地の治安悪化が問題視されていたことを振り返りながら、「東北大震災の時も同様、今回も被災地で秩序を守り、冷静な行動をとる被災地の皆様の姿にとても感動します。世界からも賞賛されるこういった日本人の心も今後世界に伝えたい」と述べている。

2017年8月に発生したハリケーン・ハービーにより甚大な被害がもたらされたアメリカ・テキサス州への支援として、『YOSHIKI FOUNDATION AMERICA』を通じて、アメリカ赤十字社に25,000ドル(2017年 年間平均為替レート(1ドル=113円)換算で、約2,825,000円)を寄付した。YOSHIKIはハリケーン被害者に向けて、「アメリカに住む僕にとっては、とても他人事とは思えない出来事でした。テキサス州で今苦しい状況と闘っている多くの方々へ、ほんの少しでも力になることができるならと思います」とメッセージを送っている。

2018年には、『Yoshiki Foundation America』を通じて、平成30年7月豪雨被災地支援のため、7月11日までに日本赤十字社に1000万円の寄付を行ったことを公表、「日本では(寄付を公表することに)賛否両論があるかもしれませんが、欧米では(著名人が)率先して声を上げる動きがある。自分の活動によって、寄付の輪が広がっていくのならいいことだと思う」「それによって、いろいろな方々が助かるのであれば、それでいい。これからも堂々と寄付をしていきたいと思う」と約束した。

2018年8月26日、24時間テレビに初出演し、11歳の盲目の少年と共に日本武道館のステージで『紅』と『ENDLESS RAIN』を披露した。YOSHIKIは番組の趣旨に賛同しノーギャラで出演しており[注 2]、当日のステージでも寄付金500万円[注 3]の目録を手渡した。番組出演後にYOSHIKIは、「勇気を与えられたらと思って今日ここに来ましたが、気付けば僕の方が勇気と希望をもらいました」と、少年との共演で感じた想いを語った。

2018年9月6日に発生した北海道胆振東部地震においては、9月12日に『YOSHIKI FOUNDATION AMERICA』を通じて、日本赤十字社の『平成30年北海道胆振東部地震災害義援金窓口』に1000万円の寄付をした。9月4日に非常に強い勢力で日本に上陸した台風21号、そして北海道胆振東部地震についてYOSHIKIは自身のSNSで動画と共に、「今回の台風及び地震の事を先ほどアメリカのNEWSで知りました。皆様のご無事、 そして一刻も早い復興を祈っています」 とのメッセージを寄せた。

2019年8月1日、京都アニメーションの放火事件を受け、同社が開設した支援金の預かり専用口座へ1000万の寄付を行った。
事業活動
音楽レーベルと録音スタジオ
「エクスタシーレコード」および「エクスタシー・レコーディング・スタジオ」も参照

1986年、Xのレコードをリリースするためにインディーズのレコード会社「エクスタシーレコード」を20歳で設立した。エクスタシーレコードは後にLUNA SEAやGLAY、ZI:KILLを輩出する一大インディーズ・レーベルとなる。また、知り合いのプロダクション代表が、エクスタシーレコードの音源の無断使用で莫大な利益を得ていた一件から、楽曲の権利を守るために1988年に音楽出版社「エクスタシー音楽出版」を設立し、日本音楽著作権協会 (JASRAC) に登録した。1992年には、自身のマネージメントや楽曲の版権を管理する「ジャパンミュージックエージェンシー」を設立している。1994年にポリグラム・グループとプロデューサー契約を結び、メジャー・レーベルの「プラチナム・レコード」を設立した。1998年2月にロサンゼルスを拠点とするレーベル「エクスタシー・レコード・インターナショナル」と、1999年8月に日本を拠点とするレーベル「エクスタシー・ジャパン」を設立した。エクスタシー・レコード・インターナショナルはワーナー・ブラザース・レコード、エクスタシー・ジャパンはイーストウエスト・ジャパン(いずれもワーナー・ミュージック・グループ)と流通契約を結び、エクスタシー・ジャパンにはメディアファクトリーが資本参加した。2008年にExtasy A Musicを、X JAPANのシングル「I.V.」の全世界同時発売時に設立した。

1993年に、ノース・ハリウッド・ランカーシム・ブールバードNoHoアート地区のコンプレックス型スタジオ「ワン・オン・ワン・レコーディング」を買い取り、スタジオAを外貸しとし、スタジオBを自身のプリプロ・ルームとして使用していた。2000年にエクスタシー・レコーディング・スタジオに改称。2003年からはレンタルを一切やめ、完全なプライベート・スタジオとして使用していたが、2012年に17ハーツLLC社に売却。新たに同市カフエンガのカフエンガ・パス・スタジオを買い取り、2012年から自身のプライベート・スタジオとしてソロ・プロジェクトやX JAPAN、Violet UKなどのレコーディングに使用している。売却したノース・ハリウッドのスタジオは、現在17ハーツ・スタジオという名のレンタル・スタジオになっている。1998年には、ビバリー・ブールバードのブルックリン・レコーディング・スタジオを買い取り、エクスタシー・レコーディング・スタジオ・サウスに改称して使用していたが、アメリカのバンドのプロデュース活動から手を引いた2003年に手放している。2001年には、エクスタシー・ジャパンやエクスタシーレコードの原盤制作の拠点となるスタジオとしてエクスタシー・レコーディング・スタジオズ・ジャパンを渋谷区広尾の恵比寿プライムスクエアタワー11階に設立したが、2003年のエクスタシー・ジャパンの活動終了に伴い閉鎖された。
コラボレーション商品
ラルム オードトワレ

1992年10月25日に、タカラからリカちゃんの憧れのロック・スターという設定の人形「STARLIGHT YOSHIKI」が限定1万体で発売された。ローズ、シルバー、パープルの3種類で、リカちゃんシリーズとしては初めて実在する人物がモデルとなった。

1993年10月18日には、プライベート・ブランド・ライン「ラルム」を発表し、コーセーと開発した香水と、ワコールと開発した女性用ランジェリーを発売した。

2002年7月31日に、各450部限定で「YOSHIKI ARTS-直筆サイン入りシルクスクリーン3作品」を発売。作品は「Endless Rain」「Tears」「Forever Love」の3点。

2004年には「X JAPAN 15周年メモリアルプロジェクト」の1つとして、X JAPANの東京ドーム公演の前日に楽屋で食べたカレーが辛かったことに腹を立て、リハーサルへの参加を拒否して帰宅したエピソードを元ネタにしたレトルト・カレー「『YOSHIKI伝説』YOSHIKIカレー<キレ辛>」と、シェード部分に自身の写真がプリントされた室内用ランプを発売した。

2008年10月1日から、ジュエリー・メーカー「桑山」とコラボレートしたジュエリー・ブランド「YOSHIKI Jewelry」を発表。

2008年12月24日から、三井住友カードが会員限定の特典がある自身の写真がデザインされたクレジット・カード「UNDERGROUND KINGDOM VISAカード」を発行している。

2009年5月にはハローキティとのコラボレーション・キャラクター「yoshikitty」を発表した。

2009年10月26日には モンダヴィ・ファミリーとコラボレートしたカリフォルニア産ワイン「Y by Yoshiki」を発売。赤ワインはカベルネ・ソーヴィニヨン。白ワインはシャルドネで、パーカー・ポイントで88点の評価であった。

2011年7月21日、サンディエゴで開催されたアニメ・コンベンション『コミコン・インターナショナル』で記者会見し、自身をモデルにしたヒーローが主人公のアメリカン・コミック『ブラッド・レッド・ドラゴン』を発表。会見には作品のクリエイターであるスタン・リーとトッド・マクファーレンが同席した。作品は全4巻で、2011年10月5日に初巻が発売された。

2012年1月20日にはコンラッド・リーチが彼の「静」と「動」を表現したという2作のシルクスクリーン「YOSHIKI PORTRAIT」と「YOSHIKI DRUMS」が100枚限定で発売された。

2013年にはヘッドフォン・ブランド「SOUL」とのコラボレーション・モデル「SL150 YOSHIKI special edition」をプロデュース。SOULの既存モデル「SL150」を元に、カラーやデザインなどを変更したもので、数量限定で発売された。
その他

圧縮音楽データの再生技術に関する特許を2001年に出願。2008年にエナジー・ドリンク「ロックスター」のエグゼクティブ・プロデューサー、2009年にSUPER GTのレーシング・チーム「ROCK ST☆R童夢NSX」のチーム・プロデューサー、アメリカの動画共有サービス「Ustream」のエグゼクティブ・アドバイザーを務めた。また、2010年11月に設立された、辻野晃一郎が代表を務めるベンチャー企業「アレックス」の共同設立者に名を連ねている。映画監督の紀里谷和明・岩井俊二と共に、クリエイターのためのソーシャル・ネットワーキング・サービス「FREEWORLD」を運営している。2011年の11月にβ版としてスタートし、2012年2月に正式版が公開された。2012年9月には、スポーツカー「トミーカイラ・ZZ」の電気自動車化の開発を手がける京都大学発のベンチャー企業「グリーンロードモータース」に出資者として加わった。ロサンゼルスで日本の広報拠点となる「ジャパン・ハウス」が外務省によって2017年夏にハリウッド&ハイランド内に開設されることが発表され、アドバイザーに就任した。

2011年3月6日に国立代々木競技場にて行われたファッション・ショー『ASIA GIRLS EXPLOSION』を、ファッション・プロデューサーのJay f.Rと共同で企画。着物ブランド「YOSHIKIMONO」を発表し、ファッションデザイナーとしてもデビューした。10歳の頃から悩まされている不眠症の治療をきっかけに、ライフワークとして医学博士の加藤友朗と共同で音楽療法の研究も進めている。現在、グラミー賞の投票権を持つ「ボーティング・メンバー」の1人でもある。
評価

「X JAPANのメロディーにはモーツァルトやショパンを聴いているような高揚感があり、そこにYOSHIKIのドラムなどがすごいエネルギーとなって混じり合っている点に、シンパシーを感じる」「すごく存在感があると思った。それで興味を持ってX JAPANの音楽を聴いてみたんだけど、もし歌詞が英語だったなら、彼らは世界一ビッグなバンドになっていたかもしれないと思ったよ。アメリカ人の大半は、英語以外で表現されるものに興味を示そうとしないからね。世界には優れた音楽がたくさん存在しているというのに、そんな風に耳を閉ざしてしまうのは馬鹿げてるよ。X JAPANの音楽を聴けば、彼らが日本でスタジアムバンドとしての地位を確立している理由が分かるはずさ」(ジーン・シモンズ/KISS)

「普通のミュージシャンだったらAメロからBメロに行くときにこれから変わることを予感させるつなぎ方をする。彼はAメロ→Bメロ→サビに行く時の変わり方に脈絡がない。バサッと変わるというか、美味しい所の圧縮感覚みたいなセンスをリアルタイムで持っている」「自分のペースで演奏を進めちゃって、オーケストラの指揮者が必死に彼に合わせていた」「(YOSHIKIが「練習はしない日は全くしないが、家に帰ると寝るまでやるほど練習が好き」と話したのを聞いて)僕よりYOSHIKIの方が全然クラシックの色が強いんだよね。だって僕は『トルコ行進曲』も『エリーゼのために』もちゃんと弾けない。反復練習しないから、譜面の見方もあんまり慣れないし、初見が効かない」「飲み友達としても、ミュージシャンとしても話ができ、感情論・精神論・ロジック等色々な音楽の捉え方を器用に使いこなして、音楽作りを進めることができる」「ヴィジュアル系は彼が作ったと言ってもいい。僕がYOSHIKIへの敬意と対抗心を持って僕らの小室ファミリーと彼らが鎬を削りあって発展したのだから」「何十kgものバーベルを持ち上げたりとか、鏡で自分の体を見たり、ランニングマシンをやったり、そこから音楽に入ったり、もしくは音楽が終わってからやったり。それが全部音楽のためなんですよ。それが実際に身になっている。僕にはあのストイックさは不可能」(小室哲哉)

「YOSHIKIさんはクラシック出身だったので、勝手にシンパシーを覚えて自分なりに研究した覚えがあります。サガシリーズのバトル曲はX JAPAN・THE ALFEEの様な邦楽ロックのノリです」(伊藤賢治)

「妥協を許さない感情描写であり、その無駄のないところに美しさが存在し、読み手の想像力が存在したところに、詞に対しての魅力を感じることができる」(久利生たか子)

「ドラマティックだが意外と語彙が少ない。その『少なさ』が逆にポリフォニック(多声的)な効果を発揮し、ミニマムな言葉遣いでマキシマムな感動を生み出す」(町口哲生)

「ほとんどYOSHIKIが始めた悪癖の数々が原因なのだけれど、アーティストのセルフプロデュースによる権力の一極集中が甚だしいがために、レコード会社も事務所も無力化してしまった。その弊害は凄まじいもので、制作費や宣伝費は膨大に膨れ上がり、レコーディングの遅延はプレス工場のパートのおばちゃん達を泣かせ、ライブの開演時刻は有名無実化し、取材における遅刻や中止も相次ぎ…アーティストの地位を飛躍的に向上させた点は評価できるが、その陰で悲惨な目に遭った関係者は数知れない。特に音楽雑誌が被ったダメージは甚大であり、今や『これを載せとけば雑誌が売れる』という弱腰の姿勢によって原稿・写真のチェックが日常化してしまい、媒体としてのプライドや意思を自ら放棄してしまったのである」「自らインディーズレーベルを主宰していたYOSHIKIは、メジャーデビュー後も広告や宣伝に対して意欲的でした。これだけ宣伝や露出の価値を見出し、主導してプロパガンダに勤しんだアーティストは、当時日本の音楽業界初だったのです」「YOSHIKIは原盤制作費を自ら支払うことで原盤権を獲得すると共に、自前の音楽出版社まで起ち上げました。音楽をビジネスとして成功させるには原盤権と著作権の両方を持たねばならないことを、YOSHIKIは実体験の連続から学習したのです。『大手レコード会社と契約し、その流通網や宣伝力によって全国的なヒットにする』位しか頭になかった従来のアーティストを思えば、それは革命的な事でした。以降、彼の戦略を踏襲する者が増えたばかりか、アーティストの権利や地位は飛躍的に向上したのですから、他のジャンルも含めた皆はこの男に足を向けて寝られないはずです」「音楽業界に革命的貢献をしたにも関わらず、何年経ってもYOSHIKIは正当に評価される気配はありません。理由は簡単、その功績以上に事件を起こしまくったからです。何が起きても単なるアクシデントでは終わらず、伝説に昇華してしまう過剰な自己演出能力に長ける男です。その『癖』が抜けない限り、彼が正しく評価される日はまだまだ遠いでしょう」(市川哲史)

「X JAPANとか、それを筆頭とするヴィジュアル系の、総てに対して寛容ではないですよ。でも、X JAPANは必要とされていたから売れたんだし、X JAPANを聴いていた人の殆どがLOUDNESSやANTHEMを知らなかったんだから僕達は負けたんです。僕は北欧系様式美でも歌謡界チックな物でも、良い曲はあると思う。X JAPANには良い曲はいっぱいあるし、バンド全員があの方向性を理解していないとあれだけのものにはならない。僕達がLOUDNESSとかVOW WOWとか44MAGNUMとかMARINOとかを反面教師にして来た様に、彼らはANTHEMやDEAD ENDやOutrageまでも反面教師にしてきたんだな、と思いましたね。GLAYにしてもB’zにしても皆そう」(柴田直人/ANTHEM)

YOSHIKIは1980年代当時のジャパニーズ・メタルシーンの印象について「当時のシーンというのが、ANTHEMとかが盛り上がっていた頃で、まるで評論家に褒められるのが目的かの様に、一生懸命真面目に音楽をやる事が良いとされる様な、まるで学校に行くような雰囲気が漂っていたんですよ。“メイクなんかしないで、キチンと音楽やるのがいい”みたいな。それが凄く嫌で、だったらもっとムチャクチャやってやろうと思って、そうしたら今度、そのムチャクチャさ加減にHIKARUとJUNが辞めてしまった」と自虐的なニュアンスを含めつつも当時の日本のヘヴィメタルバンドを反面教師にしていた事を認めている。

「YOSHIKIさんのプロデュースの仕方はまずバンドに先にやりたい事をやらせて、そこから『どういう風にアレンジしたらいいか』『こういう音を入れたらいいんじゃないか』と細かい所まで含めてアドバイスしていくという感じ」(Die/DIR EN GREY)

「僕らが形にしたテープを先に聴いてくれて、僕らのやりたいことや求めているものをすごくわかってくれたと思います。僕らの持っているアーティスト性を大事にして、それを引き出すという考え方でプロデュースしてくれて。『持っているものをもっと出せば、すごく格好良くなる』と言われました」「曲を作るのは早いらしいんですよ。でもそこからのアレンジにすごく時間をかけていろんな事を実際に試して、納得いくまで追求していく音に対してのこだわりと姿勢はすごいと思いました」(薫/DIR EN GREY)

「この人を初めて見たときは驚いたよ。『見たことのない新しいタイプのアーティストが出てきたなあ』って。それから30年近く。今も人気をキープしてるって、たしかにすごい人だよね。たださ、演歌歌手にしろ文化人にしろ、エポックを作った大御所にありがちなのがファッションのイージー化。この人だって例外じゃないよ。だいたいこの白いロングジャケットからして、着るだけで誇り高い気品を演出できる、一種の手抜きアイテム。よくおじさん文化人で黒いマオカラーのジャケットを着て、神秘的な僕を演出する人がいるけどさ。白いロングジャケットは、あれの王子様バージョンみたいなもんだよね。ただしこれでボトムも白だとあまりにベタ。まんま宝塚歌劇団になっちゃうもんな。そこで、こう見えてたぶん高級品のダメージジーンズをUGGみたいなブーツにインしたり、Vゾーンにシフォンのストールを重ねたり…ってこれ、白金あたりを歩くおばさまがよくやってる格好にそっくり…いえいえ、あくまでファッションの話なので、あしからず!」(小西良幸)

ディスコグラフィ
詳細は「YOSHIKIの作品」を参照

『Eternal Melody』(1993年)
『ETERNAL MELODY II』(2005年)
『YOSHIKI CLASSICAL』(2013年)

主な出演

映画

年 タイトル 役 備考
1988年 『TOKYO-POP』 本人 X(現X JAPAN)のメンバーとしてカメオ出演
2007年 『グローバル・メタル』 本人 ドキュメンタリー映画/インタビューを収録
2015年 『JUNK STORY』 本人 ドキュメンタリー映画/インタビューを収録

テレビ

年 タイトル 役 備考
2000年 『バスストップ』 本人 第4話「哀しみと怒りの初デート…」にカメオ出演
2018年 『深夜!天才バカボン』 本人 第1話「ひさしぶりにアニメになったのだ」にアニメキャラクターが登場。声は三木眞一郎。
YOSHIKI本人から許諾を得て登場していることがテロップで表示されている。第12話「ほんとうの最終回なのだ」に再びアニメキャラクターが登場。
声は本人(YOSHIKI)と作中テロップとEDクレジットで表示されている。

ミュージック・ビデオ

年 タイトル アーティスト 備考
2002年 「レメディー」 アバンダンド・プールズ
2012年 「あの輝かしい日々をもう一度」 テネイシャスD カメオ出演

CM・広告

年 企業 プロモーション テーマ サウンドトラック 国
2000年 セブン-イレブン・ジャパン 企業イメージ New Revolution Starts 「Confusion」- Violet UK 日本
2000年 セブン-イレブン・ジャパン 企業イメージ Ready for the New Wave 「The Other Side」- Violet UK 日本
2001年 セブン-イレブン・ジャパン 企業イメージ Ahead of Its Time 「Blind Dance」- Violet UK 日本
2002年 パルコ バーゲン・セール Wonderful X’mas N/A 日本
2002年 パルコ バーゲン・セール Believe in Wonder N/A 日本
2016年 楽天モバイル 仮想移動体通信サービス Endless Challenge N/A 日本
2018年 麒麟麦酒 発泡酒 ここまでうまいと時代が変わる。 「リトル・グリーン・バッグ」- ジョージ・ベイカー 日本
2018年 アキタ 鶏卵 グルメな人 N/A 日本
2018年 アキタ 鶏卵 おそろい N/A 日本
2019年 バンダイナムコエンターテイメント アイドルマスター シャイニーカラーズ Sポーズ / 宣言 N/A 日本
ツアーとコンサート

『YOSHIKIシンフォニックコンサート2002 with 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 featuring VIOLET UK』(2002年12月3日・4日、東京国際フォーラム)
『Yoshiki Classical World Tour part 1』(2014年)
『YOSHIKI CLASSICAL SPECIAL WORLD TOUR 第2弾 – YOSHIKI with Orchestra -』(2016年)
『YOSHIKI CLASSICAL SPECIAL feat. Tokyo Philharmonic Orchestra』(2017年1月12日・13日、ニューヨーク・カーネギーホール)
『YOSHIKI CLASSICAL 2018 ~紫に染まった夜~ YOSHIKI with Philharmonic Orchestra』(2018年11月15日、東京国際フォーラム)

ライブ・コンサート
年 形態 タイトル 会場
2002年 単発コンサート YOSHIKIシンフォニックコンサート2002 with 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 featuring VIOLET UK
1会場全2公演
[表示]
2014年 コンサートツアー YOSHIKI CLASSICAL WORLD TOUR 2014 Part 1
12会場全12公演
[表示]
2016年 コンサートツアー YOSHIKI CLASSICAL SPECIAL WORLD TOUR 2016
2会場4公演
[表示]
2017年 単発コンサート YOSHIKI CLASSICAL SPECIAL ft. Tokyo Philharmonic Orchestra
1会場2公演
[表示]
2018年 単発コンサート YOSHIKI CLASSICAL 2018 ~紫に染まった夜~
1会場2公演

 

iPhone XのCM出演者は誰?

iPhone XのCMについて調べました。

 

CMはこちら。

「紅の空に」篇

出演しているのは「高畑 充希(たかはた みつき)」さんです。

高畑 充希さんのプロフィールはこちらです。

使用されている曲は「X JAPAN(エックス・ジャパン)」の「紅(くれない)」です。

X JAPANのプロフィールはこちらです。

 

x japan 紅

 

 

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X JAPAN(エックスジャパン)プロフィール

X JAPANについて調べました。

 

X JAPAN(エックスジャパン)は、日本のヴィジュアル系ロックバンド。1989年にX(エックス)としてメジャーデビューし、1992年にX JAPANに改名。1997年9月22日に解散を発表し、同年12月31日のラストステージで活動を一旦終了。2007年10月22日に再結成。通称は、X(エックス)。








 

X JAPAN
基本情報
別名 X(旧バンド名)
出身地 日本の旗 日本 千葉県館山市
ジャンル ロック[1][2]
オルタナティヴ・ロック[1]
グラムロック[1][2]
ヘヴィメタル[2]
パワーメタル[2]
プログレッシブ・メタル[2]
ハードロック
スタジアム・ロック
シンフォニックメタル
グラム・メタル
スピードメタル[1][2]
活動期間 1982年1997年
2007年
レーベル Dada Records
(1985年)

Extasy
(1986年 – 1988年)

CBS Sony / Siren Song
(1989年 – 1990年)

Sony / Siren Song (1991年)
Ki/oon
(1992年)

MMG
(1992年 – 1993年)

Eastwest Japan
(1994年 – 1996年)

Polydor
(1997年 – 1998年)

Columbia Music Entertainment
(2003年)

Extasy Records International
(2007年 – )

EMI
(2011年 – 2014年)

Warner Music Japan
(2013年 – )
Legacy Recordings
(2017年 – )
事務所 Staff Room 3rd
(1989年 – 1992年)
Excess 24
(1993年 – 1998年)
MeGhee Entertainment Inc.
(1993年)
William Morris Endeavor Entertainment
(2010年 – )
共同作業者 津田直士I.N.A
公式サイト www.xjapanmusic.com
メンバー YOSHIKIドラムスピアノ
Toshlボーカル
PATAギター
HEATHベース
SUGIZOギターヴァイオリン
HIDEギター
TAIJIベース
旧メンバー

 

バンド名の由来

いいバンド名を思いつかなかったので、一時的に仮の名前として「X」と名付けた。その後、YOSHIKIがXという文字の意味を調べたところ、Xには「数多くの可能性」という意味があることが分かり、後付けで「無限の可能性」とジャンルにとらわれないという意味であるとした。その後、世界進出にあたりアメリカに同名のバンドが存在することが分かり、1992年8月のHEATH加入発表と共にX JAPANに改名した。
来歴
1977-88年: 結成、インディーズ時代
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この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2013年3月)

幼稚園(すみれ組=Violet)の頃からの幼馴染だったYOSHIKIとToshlは、小学校高学年でアメリカのハードロックバンド「KISS」の話をする間柄であり、共にバンドを組む約束をしていた。

小学6年の時にDYNAMITE(ダイナマイト)(1977年 – 1978年)、中学校に進学後NOISE(ノイズ)(1978年 – 1982年)を結成。主にレッド・ツェッペリン、UFO、レインボーなどのコピー曲を中心に演奏、中学校の予餞会が初ライブだった。その後、通っていた中学校が生徒増加に伴う分割によりボーカルが別の中学に編入されたため、当初ギターだったToshlがボーカルに転向。地元の安房高校に進学した2人はその後もバンドを続けていたが、進学問題で他のメンバーが脱退。他校のメンバーを加えて1982年夏、高校2年生の時に始めたのがX[注 1]だった。高校時代の文化祭では「We are X」、当時は未完成だった「I’LL KILL YOU」などを演奏していた。

高校卒業後の進路として音楽大学の推薦入試を受験する予定だったYOSHIKIが、入試1週間前に進学を取り止めロックバンドとして成功する道を選び、1984年にToshlと結成時のメンバーのTERRYと共に活動拠点を東京に移した。又、ベース担当のATSUSHI、ギター担当のTOMOが加入した。

上京後の2人は、何のツテもない状態でメンバーやライブハウスを探し、1年後の1985年にはバンドとしての体裁を何とか整えられた。同年6月、1作目のシングル「I’LL KILL YOU」をDada Recordsからリリース。1986年にYOSHIKIが自身のレーベル「エクスタシーレコード」を設立し、2作目のシングル「オルガスム」をリリースする。この頃になるとファンもある程度定着したが、メンバーは常に流動的で、YOSHIKIの1日十何時間も練習する姿勢に見切りを付けられることが原因であることが多く、存在が判明していないのを含めると脱退したメンバーは20人は超える。YOSHIKIも難しい注文に答えてくれるだけではなく、自分の方針に忠告をしてくれて、且つお互いの個性を認め合い、尊敬・成長し合えるメンバーを探していた。

その後、一時期Xに加入していたTAIJIが1986年の年末に再び加入。1987年ビクターから発売されたオムニバス・アルバム『SKULL THRASH ZONE Vol.1』のレコーディングでPATAがヘルプで参加。その後、1987年初めには、SAVER TIGERを解散させ美容師になる決心をしたHIDEをYOSHIKIが説得し、Xに加入させた。交通事故を起こしたISAOの脱退後にPATAも正式にメンバーとなり、メジャーデビュー時のメンバーが揃った。

ライブ・ハウスでは、メンバーが暴れて火を吹いたりYOSHIKIがシンバルにガソリンを注いで燃やすなどのパフォーマンスを敢行し、数々のライブハウスから出入り禁止となった。打ち上げでも喧嘩が絶えず店がメチャメチャに壊れるなどトラブル続きだったため、ロックミュージシャンが居酒屋へ入る際にはYOSHIKIがいないか店にチェックされた程であり、当時のインディーズロック事情に詳しい漫画家の喜国雅彦によると当時の渋谷の居酒屋はミュージシャン同士の喧嘩が多かった事から「ギターお断り、ミュージシャンお断り、バンドマンお断り」極めつけは名指しで「Xお断り」と貼り出された店もあったという。その特異な行動から、HIDE率いるSAVER TIGER、TAIJIが在籍したディメンシアと共に「関東三大粗大ゴミバンド」とバッシングの対象になった。

「いくら良い曲を作っていても聴いてもらえなければ意味が無い」という考えから「知名度が必要」と判断し、日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「ヘビメタコーナー」に出演していた[注 2]。ステージ衣装のままで競技を行う「ヘビメタ大運動会」や、「早朝シリーズ」(就寝中の芸能人の部屋に侵入してバズーカなどの爆音で起こす名物コーナー)の一つである「早朝ヘビメタ」などで話題となる。狭い食堂で「オルガスム」を演奏する同番組の企画「やしろ食堂ライブ」は、HIDEのX加入後の初仕事となった。しかしその世界観を硬派なイメージで保とうとする当時の音楽業界、特にロック界の風潮の中で「(音楽番組以外の)テレビ出演」はタブー視されていたため、業界関係者や他のバンドから「ヘヴィメタルをお笑いネタにされた」として厄介者のレッテルを貼られていた。

テレビ出演をきっかけに知名度が全国区へと広まったXは、当時デモテープの配布すら滅多に無かった時代にオリジナル映像を収録したVHSを客に配布した。この時、他にも配布するものとして、冷蔵庫、電子レンジ、トラックなどのアイデアが出ていた。他のバンドよりプロモーションを積極的に行っていたため、他のバンドからは金持ちバンドとしてみられていた。

1988年4月、1作目のアルバム『Vanishing Vision』をリリース。発売1週間で、当時としては異例の初回プレス分1万枚を完売した。『Vanishing Vision』は、メジャー・レーベルから発売される可能性もあったが、YOSHIKIは「インディーズでまだ何も残していない」として、敢えてエクスタシーレコードからリリースした。並行して数社とのメジャーレーベルとの契約交渉を進め、Xを巡ってレコード会社の間で争奪戦となったが、最終的にCBSソニーと契約。XがCBSソニーと契約した理由は、交渉にあたったCBSソニーのディレクター達があまりに横柄な態度をとっていたためである。これにメンバーが怒りを覚えたため、交渉は冷静に対応できるYOSHIKIが担当したといわれる。契約金や契約期間などの条件が最も低かったことも、「絶対に売れてこいつらを見返してやる」という反骨心が生まれ、契約を決めた一因となった。

契約したCBSソニーも交渉当初は積極的ではなかったが、当時スカウト・育成部門所属だった津田直士が新規プロジェクトチームに配属となった事から、津田直士自らがディレクターとなりXと会社を説得。マネジメントまで引き受けることとなった。同時にX専用のプライベート・レーベル「SIREN SONG」が設立された。
1989-93年: メジャー・デビュー
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この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2008年7月)

1989年4月21日、CBSソニー / Siren Songから2作目のアルバム『BLUE BLOOD』でメジャー・デビュー。オリコンでは初登場6位を記録した。当時の音楽業界はミリオンヒットが珍しい時代であり、トップレベルのロックバンドですら10万枚の売上で大ヒットだった中、1989年だけで60万枚のセールスを記録した。また6月頃にメンバーが海外にVIDEO撮影や曲作りの為に滞在していた。同年9月に「紅」をシングル・カット。音楽番組出演などの積極的なメディア露出で、ヴィジュアル系バンドを見た事の無かった多くの人達に強烈なインパクトを与えた。この時も、Xのメディア露出過多について音楽業界から賛否両論が浴びせられるも順調に向かっている様子に見えたが、同年11月23日に渋谷公会堂のライブ中にYOSHIKIが倒れ、以降のライブは延期された。以降、YOSHIKIは常に首や腕に「爆弾」を抱えながらバンド活動を続ける事となる。そんな中も、Xは日本有線大賞新人賞・日本ゴールドディスク大賞など数々の賞を受賞した。

1990年2月、初の日本武道館ライブでツアーを再開し、5月の大阪城ホールライブをもってツアーを終えた。11月には次のアルバムのレコーディングのために渡米した。本人達が不在の間にも、フィルム・コンサート『X FILM GIGS 〜血と薔薇にまみれて〜』を行い、成功させた。

アメリカ・ロサンゼルスでレコーディング中に、YOSHIKIが高速ナンバー「Stab Me In The Back」のドラムレコーディング後に発症した頸椎椎間板ヘルニアで、以降のレコーディングのスケジュールが大幅に延期された。レコード会社からは1991年7月のリリースをリミットとされたため、他の高速ナンバーや「ART OF LIFE」などのレコーディングを断念し、同年6月帰国。翌7月1日、3作目のアルバム『Jealousy』をリリース。オリコンチャート1位を記録する。コンサート・ツアー『Violence In Jealousy Tour 1991 〜夢の中にだけ生きて〜』を行い、8月23日には初の東京ドーム公演を果たした。同時期、新宿の小田急ミロードに「X SHOP JEALOUSIX」を期間限定で出店、日清食品から「カップヌードルX味」が発売されるなど、この頃のXはメディア露出なども合わせて絶頂期を迎えた。12月8日にNHKホールで、『X with Orchestra』を開催した。12月20日のツアーファイナルの武道館でFILM GIGのダブルアンコールに本人たちが登場し、この頃に一部新聞で報道された解散説をYOSHIKI自ら否定。12月31日には『第42回NHK紅白歌合戦』に出場した。

1992年1月5、6、7日には、日本人アーティストとして初となる東京ドーム3日間連続公演『破滅に向かって』を開催し、延べ12万人を動員した。同年1月31日の『ミュージックステーション』でビデオメッセージを通じて、Toshlの口からTAIJIの脱退が正式に発表された。TAIJI脱退の理由について、当初「音楽性とファッション性の違いから」と説明されていたが、その後TAIJIは著書『伝説のバンド「X」の生と死―宇宙を翔ける友へ』の中で「YOSHIKIに直接脱退を迫られた」という内容を告白している。同じ著書の中では「ギャラのアップ要求などバンドの嫌われ役に徹していたことに、YOSHIKIが疲れ果てたのではないか」、「一部のスタッフがYOSHIKIに働きかけたのではないか」、「YOSHIKIのドラムプレイに対して平気でダメ出しをする様になって、YOSHIKIとの間に軋轢が生じたからではないか」と述べている。一方、YOSHIKIは自伝『YOSHIKI/佳樹』の中で「TAIJIのベースはXに必要だったが、YOSHIKIとTAIJIの間での約束をいとも簡単に破ったこと」を理由としている。
X JAPAN ロゴ(1992年-)
株式会社ジャパンミュージックエージェンシー商標4868300号として登録されている

ソニーとの契約が切れたXは、1992年8月24日にニューヨークのロックフェラー・センターで記者会見を開き、世界進出を果たすべくアメリカのタイム・ワーナーと契約したことと、新しいベーシストとしてHEATHが加入したことを発表した。海外ではアトランティックレーベル、日本ではワーナーミュージック・ジャパンから作品をリリースすることとなった。しかし、アメリカ・ロサンゼルスに同名の「X」というバンドが存在したため、X JAPANに改名した(当初はX FROM JAPANと名乗っていたが、直ぐに変更した経緯がある)。日本でも1993年12月24日に東京ベイNKホールで行われた『ミュージックステーションスーパーライブ93』に出演するなどしていた。
1994-96年: 長期レコーディング

ワーナーミュージック・ジャパンとの契約後に最初に取り組んだのが、『Jealousy』に収録できなかった「ART OF LIFE」のレコーディングだった。デモテープは1990年夏には既に出来上がっていたが、Toshlのボーカル録りが難航。1993年8月に、ようやくリリースされる。

これと並行して各メンバーのソロ活動が活発になるが、次第にX JAPAN本体とのスケジュールの都合がつかなくなるなどしたために、X JAPANのレコーディングスケジュールも管理していたYOSHIKIが、他のメンバーに不信感を募らせていった。だが相変わらず、X JAPANのニューアルバムのレコーディングは遅々として進まなかった。

本来、『Jealousy』に続くアルバムは世界進出アルバムとしてリリースされる予定で、『日本向けと海外向けの2作品を同時に制作中』『過去の楽曲の英詞ヴァージョンをレコーディング中』だったが、Toshlの英語の発音の問題で海外進出を断念。

長期にわたるレコーディングはワーナーミュージック・ジャパンとの関係をも悪化させる。完成していないマスターテープを担保にした銀行融資も、ままならなくなり、YOSHIKIは愛車フェラーリを制作費捻出のために売却しレコーディングを続行。契約から4年ものアルバムレコーディングで経費がかかりすぎるとして、レコーディング作業を維持するために、苦肉の策として仕上った楽曲を次々とシングルとしてリリース。YOSHIKIは持病の頚椎椎間板ヘルニアのために数曲のハイスピードな楽曲のレコーディングを断念した。

ニューアルバムのレコーディングが終わらぬまま、1995年11月、全国ツアー『DAHLIA TOUR 1995-1996』が開始。YOSHIKIの体調を考慮して、基本的に1 – 2週間に1カ所で2日間という日程だったが、翌1996年3月13日、名古屋公演1日目にYOSHIKIがライブ中に椎間板ヘルニアを再発したことで、以後のツアー日程は全て中止され、事実上ツアー終了。福岡の延期を除く18公演中、7公演が中止となった。福岡ドームに至っては、延期公演の振替も中止となった。

長期のレコーディングの末、1996年11月4日に最後のオリジナルアルバム『DAHLIA』がリリース。しかし5年4か月もの歳月を掛けたにも関わらず、アルバム発売以前に全10曲中6曲までがシングルリリースされる(『DAHLIA』リリース後に「SCARS」もシングルカットされた)という、ベスト盤的アルバムとなった。この頃から、ToshlはX JAPANの存在と活動に息苦しさを感じるようになったと発言している。

1996年12月、『DAHLIA TOUR 1995-1996』のツアーファイナルとなる、『DAHLIA TOUR FINAL』を東京ドームで開催。
1997 – 2006年: 解散、HIDEの死と解散後のX JAPAN
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この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2008年7月)

1997年4月、音楽性・方向性の違いを理由にToshlが脱退する。後任のボーカルを見つけられなかったため、9月22日に記者会見を開き、当日をもってX JAPANの解散を発表。その後、ファンに対する「けじめ」としてライブをしよう、とHIDEがYOSHIKIを説得。Toshlも参加して、1997年12月31日に東京ドームで『THE LAST LIVE〜最後の夜〜』を行い、コンサート終了後に出演した『第48回NHK紅白歌合戦』のステージで幕引きとなった。

残ったメンバーは2000年に新たなボーカリストを加えた形で再結成することを予定し、それまでの間、各メンバーはソロ活動を展開する。中でもHIDEは、hide with Spread Beaver名義で精力的に活動を始めた。しかしその矢先、1998年5月2日にHIDEが急逝。その後『Art of life live』や『THE LAST LIVE〜最後の夜〜』などのライブ・アルバムやライブDVD、ファン投票によるベスト・アルバム『X JAPAN BEST 〜FAN’S SELECTION〜』のリリース、全国主要都市や韓国・ソウルで『FILM GIG』開催などが続いた。

HIDEと同郷であり、hide MUSEUMの建設にも関わった当時の小泉純一郎首相が「X JAPANのファン」と公言し話題を呼び、「Forever Love」が自民党の国政選挙の際にCMで使われた。しかし、その一方でToshlの洗脳疑惑騒動やYOSHIKIの迷走などかつてのファンを不安にさせるニュースも数多く報道されていた。特にYOSHIKIは日本で表立った音楽活動をほとんど行わなくなり、アメリカでViolet UKの活動を主体にプロジェクトを進めていた。これには、公私共に深い信頼関係にあったHIDEの死去が自身に与えた精神的なダメージが大きかったためであることを後に語っている。

2002年、YOSHIKIはゲスト出演したNHKの『わたしはあきらめない』で解散の直接的原因となったToshlについて、「Toshlの声を道具のように扱っていた」と、自身の行いに問題があったという内容の発言をしている。HIDE死後の転機となったのが、『天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典』で奉祝曲「Anniversary」を演奏した際に受けたファンの歓声であったとしている。この模様は後日、未放送部分が付け加えられ番組単行本に纏められている。しかし、当時のToshlは「自分はテレビを見ないので知らない」と受け入れることは無かった。

韓国では「Tears」が、映画『僕の彼女を紹介します』挿入歌として、日本文化解禁後の韓国映画で初の日本語楽曲使用となった。ヨーロッパではX JAPANの楽曲をカヴァーするバンドも現れた。後述の再結成発表の場でもアジア圏から東京に駆けつけたファンやリアルタイムでX JAPANを知らない若者たちの姿などが多く報道されていた。
2007年: 再結成

2007年2月10日にToshlが自身のホームページで、X JAPANのかつてのマネージメント事務所の社長がToshlのライヴ会場に何度も足を運び、「他のメンバーが再結成したがっているがToshlはどうだろうか」と頼んで来たと述べている。再結成に対して否定的であったToshlは、最初は頑なに断り続けていたが、あまりにも何度も来られたため、YOSHIKIにも確認し、共通の友人でもある小室哲哉にも応援と期待を頂いて話を進めていると明かした。同年3月21日にはToshlが自身のホームページで、ロサンゼルスのYOSHIKIのスタジオを訪ね、およそ10年ぶりに共に演奏したことを明らかにした。その際にセッションした楽曲はYOSHIKIがHIDEへの追悼曲として作曲し、2005年のYOSHIKIのクラシック・アルバム『ETERNAL MELODY II』に収録していた「Without You」であったことも明かし、YOSHIKIとのプロジェクトや新曲のリリースの動きが進行していることをほのめかした。その後、同年6月にYOSHIKIはスポニチの取材に対し、再結成に向けて話を進めていることを認めた。

同年10月18日、公式ホームページで活動再開が正式に発表された。東京都港区台場のアクアシティお台場屋上で、新曲「I.V.」のプロモーション・ビデオの公開撮影を10月22日に行う旨が報道された。当日の撮影ではYOSHIKIに抱きかかえられたHIDEの人形も揃い、10年ぶりにX JAPANの『5人』が台場に集まったファンの前に姿を見せた。このミュージック・ビデオでは『HIDEも世界に連れて行く』という意味を込めてHIDEのステージ・ポジションにマイク・スタンドとギターが設置されていた。撮影終了後には2008年春を目処に東京で再結成コンサートを計画していることなども明らかにされた。「I.V.」は亡きHIDEのギター音をデジタル加工して使用するなど、X JAPAN5人の楽曲として制作され、2008年1月23日にリリースされた。ハリウッド映画『SAW4』のメイン・テーマ・ソングとして採用された。撮影されたミュージック・ビデオは、2008年2月29日に発売された『X JAPAN RETURNS 完全版 DVD-BOX』に収録された。

後日、TVでインタビューでYOSHIKIは「X JAPANに終止符を打つための再結成で綺麗な形で終わらせるためであり、長期間の活動はしない」と語った。HIDEの後任のギタリストは、ゲストと言う形をとり、HIDEのポジションを空けておく、X JAPANは常にHIDEと一緒という発言から新たにHIDEのギターを収録することが不可能なことやToshlとの確執が完全に解消されたわけではないと述べた。Toshlは復活後のソロコンサートで「X JAPANもやりながら癒しの音楽もやっていきたい」と語っていた。
2008年: 世界進出

2008年1月20日に渋谷Apple Storeで記者会見が行われ、同年3月28日、30日に、東京ドームで2日間の再結成コンサートが行われることが発表された。同日の夕方にはタワーレコード渋谷店で、X JAPANメンバーと招待されたファン160人によるトーク・ライブが行われた。会見当日に先行予約が開始されたが、予想以上の反響があったため、当初の予定を変更しドームの後方席も開放し増席することと、夏以降の追加公演が発表された。X JAPANにとって初の海外公演となる欧米・アジアツアーが年内に発表されるとも語った。再結成コンサートは『X JAPAN 攻撃再開 2008 I.V. 〜破滅に向かって〜』と銘打たれ、28日は「破壊の夜」、30日は「創造の夜」と命名された。後日、再結成コンサートはあまりにも反響が大きく2日間ではキャパシティを確保することができないと判断し、YOSHIKIを始めとするメンバーの休養のため空けられていた29日に追加公演を行うことを決定。29日はYOSHIKIも「命を張る覚悟」として「無謀な夜」と命名された。チケットの価格高騰を懸念して、プレミア席のオークション中止も発表された。立ち位置は「HIDEがいたときと同じ配置で行く」と改めて『5人のX JAPAN』によるコンサートであることが強調され、再結成コンサート当日は、ステージやモニターに特殊映像(ホログラムなど)によって再現されたHIDEが映しだされた。この会見で「I.V.」のiTunes Storeなどにおける全世界23ヶ国同時発売が発表された。

2008年5月3-4日にHIDEの追悼ライブ『hide memorial summit』が開催され、LUNA SEA、T.M.Revolution、Dir en grey、マキシマムザホルモンなどが出演し、X JAPANは2日目に出演して「Without You」やhideのソロ楽曲「ピンクスパイダー」などを演奏したほか、LUNA SEAのメンバーとLUNA SEAの楽曲「BELIEVE」を共演した。12月31日には赤坂BLITZでカウントダウン・ライブ『X JAPAN COUNTDOWN GIG 〜初心に帰って〜』を開催。この模様はCS放送、DMM.comによる独占生中継が行われたほか、全国13館のTOHOシネマズにて中継上映も行われた。

後日YOSHIKIは雑誌のインタビューやMyspaceなどを通じて「I.V.」の日本語版のリリースや「Without You」をはじめとした新曲の制作をほのめかしていた。「もしかしたら当初の構想より長く活動できるかもしれない」と語った。

この年、パリやアメリカ等でツアーを予定していたが、YOSHIKIの体調不良により中止になった。日本でクリスマスライブも予定していたが中止になった。
2009年: ワールド・ツアー、SUGIZOの加入
2009年1月17日香港公演
2009年の台湾公演決定を記念して特別イルミネーションされた台北101。

2009年1月16-17日に、香港のアジア・ワールド・エキスポで初めての海外公演となる『X JAPAN WORLD TOUR LIVE IN HONG KONG』を開催し、2日間で2万人を動員した。

香港公演後には一時期、HEATHに関するトラブルが発生したことで2-3月に予定されていた台北公演・ソウル公演は延期が決定され、最悪二度目のベース脱退という事態に陥ったが[注 3]、公演が翌日に迫った5月1日にHEATHから脱退が回避されたという旨とファンへの謝罪が公式サイトに掲載された。同時に再結成公演以来サポート・メンバーとしてステージで演奏していたSUGIZOが「6人目のメンバー」として正式に加入した 。5月2-3日にワールド・ツアー東京ドーム公演『X JAPAN WORLD TOUR Live in TOKYO 〜攻撃続行中〜』を開催。「JADE」が初めて演奏されたほか、新たに加わったSUGIZOのヴァイオリンとYOSHIKIのピアノによる共演など、SUGIZOの加入による新しいコラボレーションも見られた。5月30日には台湾で『X JAPAN WORLD TOUR Live in TAIPEI』が開催された。

その後、ワールド・ツアーは10月10日のパリ公演がアナウンスされていたが、YOSHIKIの持病である頸椎椎間板ヘルニアの手術に伴い、三たびの延期。年内の開催を予定していた大阪公演も延期となった。

7月末のYOSHIKIの手術後、8月22日には6年ぶりとなるフィルム・コンサート『X JAPAN FILM GIG 〜鈴鹿の夜〜』が鈴鹿サーキットで開催された。これはYOSHIKIがプロデュースするレーシングチーム「TEAM YOSHIKI&童夢プロジェクト」が出場するSUPER GTレースの前夜祭に伴って行われたもので、X JAPANのフィルム・コンサートとしては初の野外公演となった。これには当初YOSHIKIの出演がアナウンスされていたものの、その後に手術が決まったこともあり、出演は取りやめとなっていたが、当日になりYOSHIKIとToshlがサプライズ出演。公の場にYOSHIKIが姿を現すのは手術後これが初めてとなった。
2010-11年: ワールド・ツアー、TAIJIの死
サンパウロ公演で演奏するYOSHIKIとToshl

2010年1月6日-14日にロサンゼルスにてミュージック・ビデオの撮影が行われた。6日にはロサンゼルス・センター・スタジオ、7-8日にはロサンゼルス・シアターへと場所を移し、9日にはハリウッド・コダック・シアターの屋上に設置された特設ステージの上でライブ形式の公開撮影が行われた。9日の公開撮影ではファン8000人を動員し、総制作費は5億円を計上した。その後12 – 14日も場所を移して撮影が行われた。撮影は「I.V.」「JADE」といった再結成後の新曲に加えて「Rusty Nail」「紅」「ENDLESS RAIN」といったすでにミュージック・ビデオが存在している曲にも行われた。撮影された映像の一部はパチンコ台「CR FEVER X JAPAN」に使用されていた。DVD『X JAPAN Showcase in L.A.』に収録され、パチンコ店のみで限定リリースされた。

この9日の公開撮影がYOSHIKIにとっては手術後初、Toshlにとっては活動休止後初のパフォーマンスの披露となった。Toshlは2009年10月に肋間神経痛を患い、この撮影の直前まで全く声が出せない状態が続いていたが、この撮影をきっかけに声を取り戻したことを撮影直後の単独記者会見で明かした。この記者会見でToshlは自己破産申請・離婚調停・ソロ活動でパートナーであったMASAYAとの決別などを告白と、2月24日にX JAPANメンバー全員参加の『Toshl LAST CONCERT”武士JAPAN”』の開催を発表した。

2010年の8月6日-8日にかけてアメリカ・シカゴで行われたロック・フェスティバル『ロラパルーザ』のメイン・ステージに出演した。

8月14-15日に、横浜国際総合競技場で『X JAPAN WORLD TOUR Live in YOKOHAMA 超強行突破 七転八起 〜世界に向かって〜』を開催。元メンバーのTAIJIが中盤でスペシャル・ゲストとして参加し、ステージではHeathとのダブルベースにより「X」を共に演奏。1992年の東京ドーム公演以来、18年ぶりに共演が実現した。終演後はステージ上でYOSHIKIをはじめとするメンバーと抱擁を交わした。TAIJIは翌2011年7月17日に急逝してしまったため、これが最後の共演となった。10月10日には、ワールド・ツアーの一環である北米ツアーを完遂した。

10月10日、ワールドツアーの一環である北米ツアーを完遂。ツアーを延期、中止せずに完遂したのは1989年の「BLUE BLOOD TOUR」以来となった。

2011年1月27日、北米における製造・流通を目的としてEMIと3年間の専属契約を結ぶ。3月6日には国立代々木体育館にて行われたYOSHIKIプロデュースのファッション・イベント『ASIA GIRLS EXPROSION』にX JAPANとして出演。5月27日には映画『手塚治虫のブッダ -赤い砂漠よ美しく-』の主題歌「Scarlet Love Song」が配信リリースされた。6月28日には東日本大震災の影響により延期となっていた「JADE」を配信リリース。その当日にヨーロッパ、日本、南米、東南アジアを廻る2011年ワールド・ツアーがロンドンからスタート。ヨーロッパ・ツアー『X JAPAN WORLD TOUR Live 2011 European Tour』では、2008年から延期を繰り返していたパリ公演を含む4都市で成功を収めた。

3月6日に代々木第1体育館で開催された世界最大級のファッションイベント「ASIA GIRLS EXPLOSION」参戦。SUGIZOが参加するViolet UKのパフォーマンス、マリリン・マンソンのモデルとしての登場。この参戦で今年南米(メキシコ、ブラジル、アルゼンチン、ペルー、チリ)から始まるワールドツアー2011、北米で3月15日にシングルリリースされる「JADE」や、5月28日から日本全国で公開される映画ブッダの主題歌「Scarlet Love Song」が披露された。

ワールド・ツアーの一環として、日本では8月13日の舞洲サマーソニック大阪特設会場、14日の千葉・QVCマリンフィールドで開催されたロック・フェスティバル『SUMMER SONIC 2011』に出演。その2週間後の野外ライブ・ツアー『a-nation』の東京公演初日にもサプライズ・ゲストとして出演した。

9月18日、チリから始まった南米ツアー『X JAPAN WORLD TOUR Live 2011 South American Tour』をメキシコで完走。東南アジア・ツアー『X JAPAN WORLD TOUR Live 2011 Southeast Asian Tour』では、北京公演が中止になったものの、11月8日にタイでライブを終え、『X JAPAN WORLD TOUR Live 2011』の全公演が終了した。
2012-17年:世界への進撃

2012年4月11日(日本時間12日)、アメリカ最大のHR/HMの祭典『第4回ゴールデン・ゴッズ・アワード』にアジアのバンドとして初めてのノミネートされ、ベスト・インターナショナル・バンド賞を受賞した。世界デビューアルバム制作の最終段階に入ったことと、近々2度目のワールド・ツアーも計画中であることも発表された。

2013年5月20日、東京・デックス東京ビーチ内の施設「マダム・タッソー東京」にてX JAPANの等身大フィギュアお披露目式で記者会見を開き、2014年に2度目のワールド・ツアーを開催する意気込みを表明した。21ヶ月ぶりの記者会見だった。「世界への名刺代わりになる作品」としてアルバムをリリースする予定だとした。

2014年4月29日、YOSHIKIのソロワールドツアー「YOSHIKI CLASSICAL WORLD TOUR」コスタメサ公演にて10月11日にX JAPANとしては初のマディソン・スクエア・ガーデンで公演を行うこと、6月17日に全世界ベストアルバムとして「THE WORLD〜X JAPAN 初の全世界ベスト〜」が発売されることを発表した。このライブステージでは、YOSHIKIがピアノ演奏を中心に、Xの曲や”Anniversary”などを女性弦楽団と演奏し、Toshlもゲストとして参加して盛況となった。

2014年8月17日、国内で初めてゲリラライブを東京・新宿ステーションスクエアで敢行。『聖闘士星矢 LEGEND of SANCTUARY』(同年6月21日公開)の主題歌「HERO」のX JAPANバージョンを披露し、ミュージックビデオの撮影も行った。国内のMV撮影は2007年の「I.V.」以来約7年ぶりで、SUGIZOが加入してからは初である。

2014年9月30日、10月1日の2日間、2010年日産スタジアム公演以来4年ぶりとなる日本でワンマンライブを横浜アリーナでおこなった。2日間で2万2千枚用意されたプラチナ・チケットは1秒でソールドアウトした。X JAPANにとって横浜アリーナ公演は、1991年に実施された『Violence In Jealousy Tour』ツアー以来 23年振りということでも話題となった。

2014年10月12日、“世界で最も有名なアリーナ”としても知られる、米ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでコンサートを開催した。会場には1万5千人のファンが集まり、アジア単独アーティストとして最高記録になった。

2014年12月26日、テレビ朝日系列で放送された音楽番組『MUSIC STATION SUPER LIVE 2014』にて、X JAPANとしては約17年ぶりにテレビ出演を果たした。番組内でX JAPANのニューアルバムを2015年8月にリリース予定であることも発表された。

2015年2月25日にYOSHIKIがInstagramにX Japan Master Album Sequences 2.24.15と印字されたCD画像を投稿した。

2015年6月27日、幕張メッセにてLUNA SEA初の主宰ロックフェス『LUNATIC FEST. (通称ルナフェス)』に出演した。

2015年7月6日(現地時間5日)、フランスの『JAPAN EXPO』にて全曲新作となるアルバムの翌年3月11日のリリース、それに伴う日本ツアーとワールドツアー、3月12日に英・ウエンブリーアリーナでリリース記念ライブとドキュメンタリー映画の公開を行うことが発表された。

2015年11月26日、大晦日の音楽番組『NHK紅白歌合戦』へ出演することが発表された。X JAPANの出演は1997年12月31日以来、18年ぶりの出演となり、2007年の再結成以降では初出演となる。

2015年11月28日、宮城県石巻市のライブハウス「石巻ブルーレジスタンス」にて、日本ツアーの初日公演を兼ねた、東日本大震災復興支援チャリティーコンサートを実施。ライブハウスのライブは1991年12月31日の目黒鹿鳴館以来24年ぶりとなる。このライブで用意されたチケット150人分のうち、半数の75人分は石巻市・東松島市・女川町の住民を対象にした無料招待枠で、残り半数は「ヤフオク!」でチャリティーオークションに出品、落札額は全額中央共同募金会を通じて被災地支援の寄付金となる。最高落札額は120万円を超える金額へと発展した。ライブの模様は石巻市総合体育館にてパブリックビューイングを開催した他、ニコニコ生放送でも配信された。

2015年12月25日、『MUSIC STATION SUPER LIVE 2015』出演。22年ぶりに「X」を披露した。

2015年12月31日、18年ぶりのNHK紅白歌合戦出演「紅白スペシャルメドレー 〜 We are X ! 〜」。

2016年、ドキュメンタリー映画『We Are X』(監督:スティーブン・キジャック)が、第32回サンダンス映画祭のワールドシネマドキュメンタリー部門にノミネートされ、最優秀編集賞を受賞した。1月23日に米国のユタ州でワールドプレミア上演を開催。3月18日、SXSW 2016で、EXCELLENCE IN TITLE DESIGN部門の観客賞を受賞。

同年2月3日、PATAが大腸憩室炎および門脈血栓症のため入院したことにより一時活動休止を発表し、3月11日にリリース予定であった約20年ぶりのスタジオ・アルバムを延期、それに伴い3月12日に予定されていたイギリスのウェンブリー・アリーナの公演も延期。開催すれば同会場で「日本人初」となる公演だったが、その称号を、当初2番手となる予定だったBABYMETALに譲る事となった。

3月18日、SXSW 2016のYOSHIKIのスピーチにて、PATAが退院したことが明らかになった。

2016年10月14日~10月16日、『VISUAL JAPAN SUMMIT 2016』開催。

2016年12月23日、『MUSIC STATION SUPER LIVE 2016』出演。25年ぶりに「Silent Jealousy」を披露した。

2016年12月31日、NHK紅白歌合戦出演「紅」。

2017年3月3日、ドキュメンタリー映画『We Are X』日本公開。

2017年3月4日(日本時間3月5日)、イギリス:ロンドンのウェンブリー・アリーナ公演。XJAPANの海外の単独公演は2014年10月11日に行われた「X JAPAN LIVE AT MADISON SQUARE GARDEN」以来約2年半ぶりの海外公演。

2017年3月31日、ニコニコチャンネル「YOSHIKI CHANNEL」の特別番組にて、同年6月に21年ぶりのニューアルバム「X JAPAN」をリリースすることをYOSHIKIが発表。

2017年7月 「X JAPAN WORLD TOUR 2017 WE ARE X Acoustic Special Miracle〜奇跡の夜〜 6DAYS」を11日〜12日に大阪城ホールで公演、14日〜17日まで横浜アリーナで公演。

12月27日に放送された「めざましテレビ」でYOSHIKIが「hideの命日(5月2日)までに(アルバムが)出せるようにしたい。」とコメントした。

2017年12月31日 第68回NHK紅白歌合戦に出場。曲は「ENDLESS RAIN」と「紅」。YOSHIKIは約半年振りにドラム演奏をした。
2018年- : YOSHIKIドラム復活

2018年4月10日、11日に「XJAPAN復活10周年記念 XJAPANLIVE2018 アメリカフェス出演直前 PREMIUM GIGS 〜YOSHIKI復活の夜〜」と称した単発ライブがZepp DiverCityで行われた。 このライブでYOSHIKIはニューアルバムは99.7%できていると発言した。正式にYOSHIKIがドラム復帰。又、Coachella 2018の4月14日の公演にSUGIZOの参加が危ぶまれていたが、無事参加することになった。

2018年4月14日、21日にアメリカ・カリフォルニア州インディオで開催された野外ロックフェスティバル「Coachella 2018」に出演し、両日トリを務めた。スペシャルゲストとしてガンズ・アンド・ローゼズのリチャード・フォータスと、リンプ・ビズキットのウェス・ボーランドが参加し、21日にはYOSHIKIの友人であるマリリン・マンソンとのスペシャルパフォーマンスが行われ、マリリン・マンソンの代表曲であるユーリズミックスのカバー『Sweet Dreams』をYOSHIKIのピアノ演奏と共に披露した。『X』の演奏時には、HIDEとTAIJIがホログラムで登場するという演出もなされた。現地メディアはビヨンセと同じ時間に出演するX JAPANに当初より大きな関心を寄せており、『X JAPAN VS ビヨンセ』つまりは『ロック VS ポップス』と、ロックの勢いが振るわないアメリカでX JAPAN、そしてバンドを率いるリーダーのYOSHIKIがどのように切り込んでいくのかと多くの注目が集まっていた。唯一のハードロックバンド、そして日本人アーティストとして計り知れないほどのプレッシャーを抱え、前途多難かに思われたが、初日のコンサート後、米ヤフーニュースには「激しく、吹き飛ばされるかのような破壊力のショーは、まさに“偉大”」、米LAウィークリーには「ビヨンセではなくX JAPANを選んだ」、ローリング・ストーンには「“ハードロックの爆発あり、涙を誘うバラードあり…『JADE』はスピード感のあるメタルリフと間欠泉のような激しさで始まったかと思えば、エモーショナルで華やかなメロディーへと移っていく」と大絶賛され、数多くの大手海外メディアから高い評価が殺到するなど、コーチェラでみせたX JAPANのパフォーマンスはファンのみならず各所に大きな影響を与えた。また、YOSHIKIがコンサート中にMCで叫んだ「Thank you for supporting X JAPAN. Thank you for supporting Rock’n roll. Rock is here to stay.(和訳:X JAPANをサポートしてくれてありがとう。ロックをサポートしてくれてありがとう。ロックは死んでない。)」の言葉には、 観客から割れんばかりの歓声が鳴り響いた。

7月5日~8日にロサンゼルスで行われた「Anime Expo 2018」でTVアニメ『「進撃の巨人」Season 3 』のオープニング曲を担当することが発表され、更にL’Arc〜en〜Cielのhydeとフィーチャリングとして参加することが発表された。「X JAPAN feat. HYDE」名義として「Red Swan」が2018年秋頃にポニーキャニオンからシングルリリース予定である。その後「YOSHIKI feat. HYDE」名義でリリースされることが正式に発表された。

7月17日に「テレビ朝日ドリームフェスティバル2018」の9月15日の公演に出演することが決定した。

2018年9月28〜30日に幕張メッセで「X JAPAN Live 日本公演 2018〜紅に染まった夜〜 Makuhari Messe 3Days」を開催。30日の公演は平成30年台風第24号の影響により来場客への安全などを考慮して公開を中止する措置を執ったが、ライブ自体は無観客の状態で開催してその模様をWOWOWメンバーズオンデマンドで生配信すると共にYOSHIKI CHANNELにて全編放送した。
音楽性と影響
YOSHIKIの音楽性と受けた影響については「YOSHIKI#音楽性」も参照

X JAPANの音楽性はアメリカとイギリスのグラム・メタルやヘヴィメタルの影響を受けたものであり、シンフォニックな要素を持ち合わせながらも勢いのあるスピードメタル/パワーメタル的な曲(「紅」や「Silent Jealousy」はその好例である)や情感溢れるバラード(「ENDLESS RAIN」や「Forever Love」など)が特徴である。楽曲の多くは管弦楽的なパッセージを用いているが、その傾向は特に「Tears」、「CRUCIFY MY LOVE」、「ART OF LIFE」などの長尺な曲で顕著である。

ほとんどの作品はYOSHIKIが作曲を手掛けており、それに比べれば他のメンバーによるものは少ない。hideは「SCARS」などいくつかの作品で作曲を担当しているが、一方PATAによるものは「White Wind from Mr. Martin ~Pata’s Nap~」など数少ない。TAIJIはアルバム『Jealousy』に収録されている「Voiceless Screaming」や「Desperate Angel」などいくつかの曲で作曲を担当している。2010年には、SUGIZOが曲をいくつか書いているとの報道があったが、それ以来新たな情報は出てきていない。この時、YOSHIKIはX JAPANの新作について、「今までとほとんど同じです。少しだけエッジが効いた感じになるかも」と語っていた。しかし2014年になると、次の作品は非常にヘヴィであると同時にメロディアス、そして「より現代的な」サウンドであり、以前とは異なるものになるだろうと述べている。

バンドでスタジオに入る前に、ギターやドラムなどすべての楽器の譜面を書くという点で、YOSHIKIの作曲プロセスは特異だといえる。もちろん、必要に応じて変更も行われる。

楽曲のイメージに近づけるために、YOSHIKIはレコーディングの際に映画の脚本家・監督の要領でどの様にToshlを閃かせるか、或いはだまくらかして求める声を取るのかを探っていた。ボーカルは1曲につき7~10トラック歌ってもらい、コンピューターの中で素材として保存している。そのデータの中から、YOSHIKIが一番いいテイクを探して作品へと編集する。1行に対して1時間半、60行あったらそれこそ100時間かけて組み合わせて、Toshlを達成感で喜ばせるようにしている。但しこれは「Toshlを毎日道具の様に酷使していた」と後悔させることにもつながってしまった。
受けた影響

主作曲者のYOSHIKIは、アイアン・メイデンの『鋼鉄の処女』や『キラーズ』を好きなアルバムとしてあげており、特にパンク・ロックの要素が好みだったと述べている。また、セックス・ピストルズ、ザ・クラッシュ、G.B.H.、カオスUKなどを気に入ってよく聴いていたという。
与えた影響

ヴィジュアル系アーティストを筆頭に、多くのバンドやアーティストがX JAPANから影響を受けたと述べている。具体的には、MIYAVI、DIR EN GREY、GalneryusのSyuとFumiya、the GazettE、D、Sadieのヴォーカリスト真緒、12012の川内亨、LM.CのMaya、FLOW、Unsraw(英語版)のYuuki、DJ OZMA、Dio – Distraught Overlord(英語版)のKei、Deadmanのaie、ScrewのJin、DaizyStripperなどがいる。VersaillesのメンバーはXとLUNA SEAから影響を受けたと公言しているが、中でもヴォーカリストのKAMIJOは「日本の音楽業界で、X JAPANから影響を受けていない人はいないと思う」と述べている。GalneryusやDELUHIで活躍したLedaも、友人がX JAPANとLUNA SEAの曲を聴かせてくれなければ、音楽に興味を持つことすらなかったと述べており、X JAPANは彼にとっての「バイブル」だと打ち明けている。マーティ・フリードマンはX JAPANを、ヴィジュアル系シーンでもっともビッグなバンドで「音楽的にも群を抜いて多才だ」と評価しており、X JAPANを聴いたことで日本のロックにはまっていったと証言している。
メンバー
YOSHIKI (1965年11月20日 -) < Leader > [1982-1997/09/22, 2007/10/22-]
ヨシキ Drums & Piano(Keyboard) & Chant DYNAMITE(Dr.・Vo.) → NOISE → X → X JAPAN・Violet UK
Toshl (1965年10月10日 -) [1982-1997/04/20, 2007/10/22-]
トシ Vocal DYNAMITE(Gu.) → NOISE → X → X JAPAN
HIDE (1964年12月13日 – 1998年5月2日) [1987-1997/09/22, 2007/10/22-]
ヒデ Guitar (ステージ上手側、音源では基本的に右チャンネル) & Chorus SAVER TIGER ⇒ X → X JAPAN
PATA (1965年11月4日 -) [1987-1997/09/22, 2007/10/22-]
パタ Guitar (ステージ下手側、音源では基本的に左チャンネル) & Chorus ブラックローズ ⇒ ジュディ ⇒ X → X JAPAN
HEATH (1968年1月22日 -) [1992-1997/09/22, 2007/10/22-]
ヒース Bass & Chorus パラノイア ⇒ カオスモード ⇒ ビート・スィート(Vo.)
⇒ スィート・デス ⇒ media youth ⇒ マジスティック・イザベル ⇒ X JAPAN
SUGIZO (1969年7月8日 -) [2009/5/1-]
スギゾー Guitar (ステージ上手側、主にリードギター) & Violin & Chorus ピノキオ ⇒ カシミール ⇒ LUNACY → LUNA SEA
⇒ THE FLARE ⇒ X JAPAN・LUNA SEA・Violet UK
TAIJI (1966年7月12日 – 2011年7月17日) [1985, 1986-1992/01/07, 2010/08/14,15-]
タイジ Bass & Chorus トラッシュ(Gu) ⇒ ディメンシア(:Ray) ⇒ プローラー ⇒ X ⇒ ファティマ ⇒ デッド・ワイヤー ⇒ X

主な経歴、単体の活動などは本人の項目を参照
旧メンバー

TERRY(テリー) – YUJI(ユウジ):泉沢裕二 :Guitar [1982-1985]:YOSHIKIとToshlの高校の同級生。TAIJIの加入条件で脱退。脱退後、再加入を勧められたが拒否している。2002年に交通事故により死去。
TOMO(トモ):オガタ トモユキ :Guitar [1984-1985]:1stシングル「I’LL KILL YOU」リリース後に脱退した。
ATSUSHI(アツシ)- TOKUO(トクオウ): 德應 淳 :Bass [1984-1985]:YOSHIKIとToshlの高校の先輩。
EDDIE(エディー):小出健一 :Guitar :ex.THE WRETCHED、ex.CRACKED BRAIN、現RITUAL CARNAGE。TOMOの後任として加入。TERRYと共に脱退。
HALLY(ハリー):吉田良文 :Guitar::ex.DEMENTIA、現UNITED。TAIJIが最初に加入した時に連れてきたギタリスト。TERRYの後任。吉田によれば、Xには半月ほどしか在籍しておらず、ライブすらやっていなかったとの事。
JUN(ジュン)- SHU(シュウ):Guitar [1985,1986]:成毛滋の弟子筋で、HALLYの後任として加入。その後、脱退。ZENの後任として加入。
ZEN(ゼン)- Xenon:三田一光 :Guitar [1985-1986]
HIKARU(ヒカル):宇高光 :Bass [1985-1986]:ex.MEPHISTOPHELES、新宿歌舞伎町で北海道料理店North経営。TAIJIの後任として加入したが、JUNと共に脱退。その後、TAIJIが再加入。
SATORU(サトル):村上悟 :Guitar :X脱退後、Virusに加入。
ISAO(イサオ):堀功 :Guitar :バイク事故により脱退。後に臨時ギタリストであったPATAが正式加入。

サポートメンバー

KERRY(ケリー):高橋雅則 :Guitar (support) : 現.BADWILDE、ex.Mein Kampf、ex.Jail Bait (AIONに在籍歴はない。)
HIBARI (ヒバリ) :岡本浩明 :Drum (support) : PRESENCEのドラマー。1989年12月3日に行われた「ENFENT TERRIBLE~怖るべき子供達~」にYOSHIKIの代わりに参加。

大魔神五人組

大魔神五人組(だいまじんごにんぐみ)とはバンド名がXだったころに、主にライヴでファンサービスとして行われていたXのパートチェンジバンドである。 全員の担当パートが変わっている。最後の演奏となったライブ、『破滅に向かって』でもYOSHIKIはギター担当になっているが、ギターを抱えてステージを走り回っているだけで、実質的にこの時のギターはTAIJI一人だけであった。

Vocal:HIDE(ロボ)
Drums:TOSHI(おちゃるちゃん)
Guitar:TAIJI(ヒマラヤン五郎)
Guitar:YOSHIKI(ジョン)
Bass:PATA(ゴンザレス書記長)

時系列
ディスコグラフィ
詳細は「X JAPANの作品」を参照
シングル

I’LL KILL YOU (1985年6月)
オルガスム (1986年4月)
紅 (1989年9月)
ENDLESS RAIN (1989年12月)
WEEK END (1990年4月)
Silent Jealousy (1991年9月)
Standing Sex/Joker (1991年10月)
Say Anything (1991年12月)
Tears (1993年11月)
Rusty Nail (1994年7月)
Longing 〜跡切れたmelody〜 (1995年8月)
Longing 〜切望の夜〜 (1995年12月)
DAHLIA (1996年2月)
Forever Love (1996年7月)
CRUCIFY MY LOVE (1996年8月)
SCARS (1996年11月)
Forever Love (Last Mix) (1997年12月)
THE LAST SONG (1998年3月)
I.V. (2008年1月)
Scarlet Love Song -BUDDHA Mix- (2011年5月)
JADE (2011年6月)
BORN TO BE FREE (2015年11月)

スタジオ・アルバム

Vanishing Vision (1988年4月)
BLUE BLOOD (1989年4月)
Jealousy (1991年7月)
ART OF LIFE (1993年8月)
DAHLIA (1996年11月)

ライブ・コンサート
年 形態 タイトル 公演規模・会場
1982年 文化祭 千葉県立安房高校文化祭LIVE 千葉県立安房高校
1983年 文化祭 千葉県立安房高校文化祭LIVE 千葉県立安房高校
コンサート活動 LIVE 千葉県内
1984年 ライブイベント LIVE 東京都内
ライブイベント 5TH JAPAN HEAVY METAL FANTASY 5月27日 大阪野外音楽堂
1985年 ライブイベント LIVE
5会場全8公演
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ライブイベント TERRY&EDDIE LAST GIG [注 6] 10月4日 神楽坂EXPLOSION
YOSHIKI BIRTHDAY GIG 11月20日 目黒鹿鳴館
LIVE [注 7] 12月3日 目黒鹿鳴館
1986年 ライブイベント LIVE
4会場全4公演
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単発コンサート 「ORGASM」発売記念GIG
2会場全2公演
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コンサートツアー 関西TOUR
6会場全6公演
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単発コンサート LIVE 6月5日 渋谷LA-MAMA
対バンコンサート LIVE 6月8日 国分寺MORGANA[注 9]
単発コンサート LIVE 6月19日 目黒鹿鳴館
単発コンサート LIVE 6月20日 浦和NARCISS
ワンマンライブ ワンマンLIVE 7月25日 神楽坂EXPLOSION
対バンコンサート LIVE 7月30日 筑波29BAR
単発コンサート LIVE 8月2日 大阪布施CENSUS HALL
単発コンサート LIVE 8月10日 松戸STAGE V
ライブイベント LIVE 8月14日 目黒鹿鳴館
単発コンサート LIVE 8月16日 函館あうん堂
単発コンサート LIVE 8月18日 札幌STUDIO MESSE
単発コンサート LIVE 8月20日 旭川STUDIO 9
ライブイベント 北見夕焼け祭り 8月23日 夕焼けまつり
単発コンサート LIVE 9月5日 浦和NARCISS
単発コンサート LIVE 9月9日 渋谷LA-MAMA
ライブイベント BIG SHOT 2 9月20日 浦和市民会館
単発コンサート LIVE 10月6日 大阪布施CENCUS HALL
単発コンサート 「TOKYO THRUSH」GIG 10月8日 大阪CANDY HALL
単発コンサート SHU&HIKARU LAST GIG [注 10] 10月25日 目黒鹿鳴館
単発コンサート LIVE 11月6日 大阪SENCUS HALL
単発コンサート LIVE 11月12日 目黒LIVE STATION
ライブイベント 爆発寸前大暴れGIG [注 11] 11月16日 目黒鹿鳴館
単発コンサート METAL SHOP:HARD NIGHT 11月24日 大宮FREAKS
単発コンサート LIVE 12月29日 大阪CANDY HALL
ライブイベント ALL NIGHT GIG「SUPER-METAL REVOLUTION VOL.2-ROCK THROUGH THE NIGHT-」[注 12] 12月30日 大阪CANDY HALL
1987年 ライブイベント 爆発寸前撮影GIG[注 13] 4月10日 神楽坂EXPLOSION
ライブイベント 「SKULL THRASH ZONE」発売記念GIG
2会場全2公演
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コンテスト INTERNATIONAL POPULAR MUSIC FESTIVAL BAND EXPLOSION ’87 6月7日 館山商工会館
食堂ライブ やしろ食堂ライブ 7月19日 やしろ食堂
単発コンサート ONEMAN GIG 7月25日 目黒LIVE STATION
単発コンサート Xclamation無料配布GIG
2会場全2公演
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ライブイベント ROCK MONSTER AUGUST 8月30日 スポーツバレー京都
コンサートツアー 1987 WINK TOUR
5会場全6公演
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コンテスト CBS/SONY AUDITION ’87 決戦大会 12月26日
ライブイベント HEAVY METAL DAYS EXTRA 12月23日 埼玉会館大ホール
ライブイベント DAYNAMITE YEAR END PARTY 12月29日 目黒LIVE STATION
ライブイベント ALL NIGHT METAL PARTY ’87 to ’88 12月31日 目黒鹿鳴館
1988年
ライブイベント METAL INDIES 2 1月10日 中野公会堂
コンサートツアー VANISHING TOUR ’88 SPRING
7会場全7公演
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コンサートツアー VANISHING TOUR SPECIAL
2会場全2公演
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コンサートツアー VANISHING TOUR VOL.2
19会場全23公演
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ライブイベント HEAVY METAL DAYS VOL.7 8月27日 埼玉会館
単発コンサート X at SPORTS VALLEY KYOTO 9月4日 スポーツバレー京都
ライブイベント 第1回 EXTASY SUMMIT 9月30日 大阪BOURBON HOUSE
コンサートツアー BURN OUT TOUR ’88 OCT.
9会場全12公演
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フィルムギグ VIDEO CONCERT
2会場全2公演
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ライブイベント EXTASY SUMMIT 11月6日 目黒鹿鳴館
ライブイベント STREET FIGHTING MEN 11月12日 MZA有明
ライブイベント ALL NIGHT METAL PARTY ’88 to ’89 12月31日 目黒鹿鳴館
1989年 コンサートツアー BLUE BLOOD TOUR
14会場全14公演
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ライブイベント MM CLUB 3月17日 渋谷公会堂
ライブイベント THE 4TH FLOWER FESTIVAL X COMIN HOME.帰って行くぜ!気合いを入れて待ってろよ! 3月25日 館山FAMILY PARK
ライブイベント CLUB WONDERLAND 3月29日 INK STICK芝浦Factory
ライブイベント 5時SAT ROCK WAVE ’89 4月30日 ナガシマスパーランド
ジャンボ海水プール特設ステージ
ライブイベント EXTASY SUMMIT VOL.II 5月2日 目黒鹿鳴館
コンサートツアー BLUE BLOOD TOUR SPECIAL BIG GIG
2会場全2公演
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ライブイベント HEAVY METAL DAYS VOL.8 7月22日 埼玉会館 (シークレットゲスト)
ライブイベント JR東日本 POP ROCKETS ’89 7月30日 湯沢町中央公園野球場
ライブイベント Kirin Sound Together POP. HILL ’89 8月12日 石川県森林公園
ライブイベント THE ROCK KIDS ’89 8月19日 富士急ハイランド・コニファーフォレスト
ライブイベント Rock’n roll Olympic’89 8月20日 スポーツランドSUGO
シークレットライブ SECRET GIG 大魔神五人組 8月28日 大阪a.m.HALL
ライブイベント EXTASY SUMMIT in ClubHouse 8月29日 目黒鹿鳴館
単発コンサート ROCK MONSTER “X” SPECIAL 9月17日 スポーツバレー京都
ライブイベント EXTASY SUMMIT SPECIAL 〜場外乱闘篇〜 9月28日 渋谷公会堂
ライブイベント ENFENT TERRIBLE 〜怖るべき子供達〜[注 14] 12月3日 品川寺田倉庫F号
ライブイベント EXTASY SUMMIT 12月30日 目黒鹿鳴館
1989年
1990年 コンサートツアー Rose & Blood Tour
31会場全35公演
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1990年 ライブイベント 5時SAT ROCK WAVE ’90 4月29日 名古屋庄内緑地公園陸上競技場
単発コンサート LIVE TOMATO
1会場全2公演
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フィルムギグ 1990 X FILM GIGS 〜血と薔薇にまみれて〜
1会場全2公演
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1991年 フィルムギグツアー X FILM GIGS 〜血と薔薇にまみれて〜
37会場全39公演
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ライブイベント JT SUPER SOUND ’91 Have a Joyful Time 7月31日 鬼首高原 仙台リゾートパーク・オニコウベ
コンサートツアー CUP NOODLE 20th ANNIVERSARY HOT GIGS
Violence In Jealousy Tour 1991 〜夢の中にだけ生きて〜
9会場全16公演
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単発コンサート X PRODUCE 〜何が起こるか分からない。Xがパワステを借り切った!
1会場全3公演
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ライブイベント EXTASY SUMMIT 1991 “無敵と書いてエクスタシーと読む。無謀と書いてYOSHIKIと読む。” 10月29日 日本武道館
シークレットライブ SECRET GIG 11月17日 渋谷EGG-MAN
単発コンサート X, 遂にフル・オーケストラと共演 X with オーケストラ 12月8日 NHKホール
ツアーファイナル これで最後か!? Violence In Jealousy Tour 1991 Final FILM GIG SPECIAL 12月20日 日本武道館
ライブイベント ALL NIGHT METAL PARTY ’91 to ’92 12月31日 目黒鹿鳴館
1992年 単発コンサート 東京ドーム3DAYS 〜破滅に向かって〜
1会場全3公演
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トークライブ Fool’s MATE&Rockin On Japan Presents
YOSHIKI TALK LIVEat 日本武道館 7月30日 日本武道館
ライブイベント EXTASY FAN CLUB 無敵 PRESENTS EXTASY SUMMIT 1992
みんな無名だった、だけど…無敵だった
2会場全2公演
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1993年 ゲスト参加 made in HEAVEN
2会場全2公演
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フィルムギグツアー LAWSON PRESENTS X JAPAN FILM GIGS 1993 〜VISUAL SHOCK 攻撃再開〜
全47公演
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フィルムギグツアー LAWSON SPECIAL X JAPAN FILM GIGS 〜VISUAL SHOCK 攻撃再開〜
7会場全7公演
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ライブイベント MUSIC STATION Special SUPER LIVE93 12月24日 東京ベイNKホール
単発コンサート 新型エックス第1弾 日本直撃カウントダウン X JAPAN RETURNS
1会場全2公演
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1994年 ライブイベント GME ’94 〜21世紀への音楽遺産をめざして〜 AONIYOSHI
1会場全3公演中2公演
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ライブイベント Act Against AIDS ’94 12月1日 恵比寿ザ・ガーデンホール
ライブイベント MUSIC STATION Special SUPER LIVE94(中継参加) 12月30日 東京ベイNKホール
単発コンサート SEGA SATURN PRESENTS

X JAPAN TOKYO DOME 2DAYS 青い夜/白い夜

1会場全2公演
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1995年 単発コンサート X JAPAN PRESENTS KOBE RETURNS 12月24日 大阪城ホール
ライブイベント MUSIC STATION Special SUPER LIVE95 12月29日 東京ベイNKホール
1995年
1996年 コンサートツアー DAHLIA TOUR 1995-1996
7会場全11公演
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1996年 記念イベント 「Forever Love」発売記念七夕イベント 7月7日 原宿
収録観覧 「HEY!HEY!HEY!」公開収録 12月14日 レモンスタジオ
ライブイベント Asia Live Super Concert Asian Dream 12月16日 NHKホール
ライブイベント MUSIC STATION Special SUPER LIVE96 12月27日 東京ベイNKホール
ツアーファイナル DAHLIA TOUR FINAL 1996 TOKYO DOME 2DAYS
1会場全2公演
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1997年 ライブイベント MUSIC STATION Special SUPER LIVE97 12月26日 東京ベイNKホール
解散コンサート THE LAST LIVE〜最後の夜〜 12月31日 東京ドーム
1998年 レクレイム 故 hide儀 告別式 5月7日 築地本願寺
1999年 ライブイベント EXTASY RECORD新年会 2月4日 川崎CLUB CITTA’
2000年 ライブイベント EXTASY NIGHT VOL 1 11月16日 渋谷ON AIR EAST
2002年 ライブイベント EXTASY NIGHT VOL 2 1月28日 原宿ASTRO HALL
フィルムギグ X JAPAN FILM GIG 〜X JAPANの軌跡〜
11会場全12公演
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フィルムギグ X JAPAN FILM GIG 〜X JAPANの軌跡〜 VERSION2
1会場全2公演
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2003年 フィルムギグ X JAPAN FILM GIG ’03 featuring ART OF LIFE 9月21日 日本武道館
2007年 公開撮影 「I.V.」PV撮影 10月22日 アクアシティお台場
2008年 トークライブ TALK LIVE 1月20日 タワーレコード渋谷店
単発コンサート X JAPAN 攻撃再開 2008 I.V. 〜破滅に向かって〜
1会場全3公演
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ライブイベント hide memorial summit 5月4日 東京スタジアム(味の素スタジアム)
祭典 JAPAN EXPO 2008 7月5日 フランスの旗 フランス ノールヴィルパント展示会場
シークレット
パーティー YOSHIKI Jewelry Secret Party 2008 12月26日 東京都内
単発コンサート X JAPAN COUNTDOWN GIG 〜初心に帰って〜 12月31日 赤坂BLITZ
2009年 単発コンサート X JAPAN WORLD TOUR LIVE IN HONG KONG
1会場全2公演
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試写会 映画「レッド クリフⅡ」試写会 4月5日 東京ビッグサイト
単発コンサート X JAPAN WORLD TOUR Live in TOKYO 〜攻撃続行中〜
1会場全2公演
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単発コンサート X JAPAN WORLD TOUR Live in TAIPEI 「本当にやる夜」 5月30日 中華民国の旗 中華民国 臺北縣立板橋體育場
フィルムギグ X JAPAN FILM GIG 〜鈴鹿の夜〜 8月22日 鈴鹿サーキット
ライブイベント ヘルプ・アズ・ワン 9月1日 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ロサンゼルス
2010年 公開撮影 X JAPAN MUSIC VIDEO SHOOTING in Hollywood
4会場全7公演
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ゲスト参加 Toshl LAST CONCERT”武士JAPAN” 2月24日 赤坂BLITZ
ライブイベント Anime in Chicago 2010 5月15日 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 シカゴ
単発コンサート THE YOSHIKI FOUNDATION AMERICA KICKOFF PARTY 7月1日 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 クラブノキア
総合博覧会 JAPAN EXPO 2010 7月4日 フランスの旗 フランス ノールヴィルパント展示会場
試写会 「FEVER X JAPAN」」プレミアム試打会 7月28日 東京ドームプリズムホール
ロックフェス ロラパルーザ 2010 8月8日 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 グラント・パーク
単発コンサート X JAPAN WORLD TOUR Live in YOKOHAMA 超強行突破 七転八起 〜世界に向かって〜
1会場全2公演
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コンサートツアー X JAPAN WORLD TOUR Live 2010 North American Tour
7会場全7公演
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2011年 ライブイベント ASIA GIRLS EXPLOSION 3月6日 国立代々木競技場第一体育館
コンサートツアー X JAPAN WORLD TOUR Live 2011 European Tour
4会場全4公演
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ロックフェス サマーソニック 2011
2会場全2公演
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ライブイベント a-nation 10th Anniversary for Life Charge & Go! ウイダーinゼリー 8月27日 東京スタジアム(味の素スタジアム)
コンサートツアー X JAPAN WORLD TOUR Live 2011 South American Tour
5会場全5公演
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コンサートツアー X JAPAN WORLD TOUR Live 2011 Southeast Asian Tour
5会場全5公演
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2013年 トークライブ X JAPAN×ニコ生SP~24 時間攻撃続行中~
YOSHIKI がニコファーレに降臨!!! 9月27日 ニコファーレ
9月28日 ニコファーレ
2014年 ゲスト参加 YOSHIKI CLASSICAL WORLD TOUR 2014 PART1 4月28日 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 Davies Hall
祭典 Otakon 2014 8月10日 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ボルチモア
シークレットライブ ゲリラライブ 8月17日 新宿ステーションスクエア
単発コンサート X JAPAN LIVE AT YOKOHAMA ARENA
1会場全2公演
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単発コンサート X JAPAN LIVE AT MADISON SQUARE GARDEN 10月11日 アメリカ合衆国の旗 マディソン・スクエア・ガーデン
ライブイベント MUSIC STATION SUPER LIVE 2014 12月26日 幕張メッセ
2015年 ロックフェス LUNATIC FEST. 6月27日 幕張メッセ
博覧会 HYPER JAPAN Festival 2015 7月11日 イギリスの旗 イギリス Tobacco Dock
ライブイベント 30年目突入!史上初の10時間SP MUSIC STATION ウルトラFES 9月23日 テレビ朝日第1スタジオ
ライブイベント テレビ朝日ドリームフェスティバル2015 11月23日 国立代々木第一体育館
コンサートツアー X JAPAN JAPAN TOUR 2015
6会場全10公演
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ライブイベント MUSIC STATION SUPER LIVE 2015 12月25日 幕張メッセ
2016年 ロックフェス VISUAL JAPAN SUMMIT 2016
1会場全3公演
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公開収録 SONGS収録観覧 12月3日 NHK101スタジオ
ライブイベント MUSIC STATION SUPER LIVE 2016 12月23日 幕張メッセ
2017年 試写会 WE ARE X ジャパンプレミア 2月23日 TOHOシネマズ六本木ヒルズ
単発コンサート X JAPAN LIVE 2017 at the WEMBLEY Arena in LONDON 3月4日 イギリスの旗 イギリス ウェンブリーアリーナ
コンサートツアー X JAPAN WORLD TOUR 2017 WE ARE X Acoustic Special Miracle〜奇跡の夜〜 6DAYS
2会場全6公演
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トークライブツアー 「WE ARE X」PREMIERE TOUR IN EUROPE 2017[注 16]
10会場全10公演
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ライブイベント NHK WORLD presents SONGS OF TOKYO 11月26日 NHKホール
ライブイベント MUSIC STATION SUPER LIVE 2017 12月22日 幕張メッセ
トークライブ 一夜限りの『WE ARE X』’mas 上映会 12月25日 TOHO シネマズ 六本木ヒルズ
2018年 トークライブツアー 「WE ARE X」PREMIERE TOUR IN RUSSIA 2018
2会場全2公演
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単発コンサート XJAPAN復活10周年記念 XJAPANLIVE2018 アメリカフェス出演直前 PREMIUM GIGS 〜YOSHIKI復活の夜〜
1会場2公演
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ロックフェス Coachella 2018
1会場6公演中2公演
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ライブイベント テレビ朝日ドリームフェスティバル2018
1会場3公演中1公演
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単発コンサート X JAPAN Live 日本公演 2018
〜紅に染まった夜〜 Makuhari Messe 3Days
1会場全3公演
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タイアップ一覧
楽曲 タイアップ
紅 NTTドコモ『紅の空に』 篇 CMソング
ENDLESS RAIN 映画「ZIPANG」主題歌
Joker カネボウ「NFL」CF
Say Anything テレビ朝日系ドラマ「ララバイ刑事’91」主題歌
Tears TBS系ドラマ「憎しみに微笑んで」主題歌
韓国映画「僕の彼女を紹介します(原題:내 여자 친구를 소개합니다,Windstruck)」挿入歌
Rusty Nail 関西テレビ・フジテレビ系ドラマ「君が見えない」主題歌
スズキ「スイフト」CMソング
X ソニーカセットテープ「X」CF
Longing 〜跡切れたmelody〜 MIZUNOスポーツ用品(イチロー出演編)CF
Forever Love アニメ映画「X」(CLAMP原作・角川書店)主題歌
自由民主党国政選挙CF(小泉純一郎総裁出演)
CRUCIFY MY LOVE 日本石油(現在のJXTGエネルギー)「ZOA」第1弾CF
テレビ朝日系列「トゥナイト2」エンディングテーマ
White Poem I 日本石油「ZOA」第2弾CF
SCARS TBS系「CDTV」96年11月期オープニングテーマ
THE LAST SONG 日本テレビ系「知ってるつもり?!」エンディングテーマ
I.V. 映画「SAW4」全世界主題歌
Scarlet Love Song アニメ映画「手塚治虫のブッダ -赤い砂漠よ!美しく-」主題歌
BORN TO BE FREE 映画「ラスト・ナイツ」CMソング
SANKYO「FERVER X JAPAN」CMソング
Kiss the Sky 楽天モバイル CMソング
La Venus 映画「WE ARE X」テーマソング
出演
NHK紅白歌合戦出場歴
年度/放送回 回 曲目 出演順 対戦相手
1991年(平成3年)/第42回 初 Silent Jealousy 11/28 原由子
1992年(平成4年)/第43回 2 紅 16/28 DREAMS COME TRUE
1993年(平成5年)/第44回 3 Tears 01/26 久宝留理子
1994年(平成6年)/第45回 4 Rusty Nail 18/25 工藤静香
1997年(平成9年)/第48回 5 Forever Love 17/25 小林幸子
2015年(平成27年)/第66回 6 紅白スペシャルメドレー 〜 We are X ! 〜 (Forever Love / BORN TO BE FREE) 22/26 MISIA
2016年(平成28年)/第67回 7 紅 20/23 松田聖子
2017年(平成29年)/第68回 8 ENDLESS RAIN 2017 紅白スペシャル (ENDLESS RAIN / 紅) 17/22 Perfume

注意点

出演順は「出演順/出場者数」(いずれも白組)で表す。