UR都市機構のCM出演者は誰?

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UR賃貸住宅ブランドCM 「子育て環境」篇

出演しているのは「吉岡 里帆(よしおか りほ)」さんです。

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福原 愛(ふくはら あい)さんプロフィール

福原 愛さんについて調べました。

 

福原 愛(ふくはら あい、1988年11月1日 – )は、1990年代から2010年代にかけて活躍した日本の卓球選手。宮城県仙台市生まれ、身長155cm、血液型B型。全日本空輸(ANA)に所属。2016年11月現在は、夫・江宏傑(2016年9月 – )と夫妻でドイツ在住。2017年6月、第1子妊娠を報告。2017年10月13日朝、2995gの女児を出産。

史上初の全日本グランドスラム達成者であり、五輪2大会連続のメダリスト。ITTF世界ランキング最高位は4位(2015年10月)。段級位は7段。日本オリンピック委員会・選手強化キャンペーン・シンボルアスリート制度適用選手。

日本では幼少期からテレビなどマスメディアに頻繁に登場し、「卓球の愛ちゃん」「天才卓球少女・愛ちゃん」「泣き虫・愛ちゃん」等と呼ばれ、国際大会で活躍するようになってからは中華圏で「小愛」(シャオアイ)や「瓷娃娃」(ツーワーワー)等と呼ばれ親しまれている。

その注目度から、内閣府「災害被害を軽減する国民運動サポーター」、中国等との間の様々な親善大使、出身地である仙台市の観光大使、CM出演なども務めてきた。

2018年10月、現役引退を表明した。










 

基本情報
よみがな ふくはら あい
ラテン語表記 Ai Fukuhara
愛称 愛ちゃん,天才卓球少女,小愛,瓷娃娃
生年月日 1988年11月1日(31歳)
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮城県の旗宮城県仙台市
居住  台湾
血液型 B型
身長 155cm
血縁者 江宏傑
公式サイト 福原愛オフィシャルサイト
選手情報
世界ランキング 最高4位(2015年10月)
段級位 7段
利き腕
グリップ シェークハンド
ラケット 福原愛プロZLF-FL
フォア面ラバー スピンアート
バック面ラバー アタック8特注
シューズ WAVE DRIVE Z[1]
戦型 フォア裏ソフト・バック表ソフト前陣速攻型
ITTFサイト ITTFプロフィール
経歴
学歴
所属歴 全日本空輸(ANA)
代表 日本の旗 日本代表 2002-2016
ITTFワールドツアー戦歴
生涯成績 498試合 327勝 勝率66%
世界卓球選手権戦歴
出場大会数 13
初-最終出場 20032016
国内戦歴
受賞歴
JOCスポーツ賞 特別功労賞 2010,2012
[隠す]

獲得メダル

日本の旗 日本
女子卓球
オリンピック
2012 ロンドン 女子団体
2016 リオデジャネイロ 女子団体
世界卓球選手権大会
2004 ドーハ 女子団体
2006 ブレーメン 女子団体
2008 広州 女子団体
2010 モスクワ 女子団体
2011 ロッテルダム 混合ダブルス
2016 クアラルンプール 女子団体
ワールドカップ
2005 広州 女子シングルス
2009 広州 女子団体
2010 クアラルンプール 女子団体
2011 シンガポール 女子団体
2013 神戸 女子団体
ワールドツアーグランドファイナル
2001 天津市 女子ダブルス
2010 ソウル特別市 女子ダブルス
2011 ロンドン 女子ダブルス
アジア競技大会
2002 釜山 女子団体
2010 広州 女子シングルス
2010 広州 女子ダブルス
2010 広州 混合ダブルス
2014 仁川 女子団体
2014 仁川 混合ダブルス
アジア選手権
2003 バンコク 女子ダブルス
2005 済州 女子ダブルス
2005 済州 女子団体
2007 揚州 女子団体
2009 ラクナウ 混合ダブルス
2012 マカオ 女子団体
2013 釜山 女子団体
2015 パタヤ 女子団体
アジアカップ
2004 バンダルマズハー 女子シングルス

 

来歴
幼少期

秋田県大曲市(現・大仙市)出身(2013年10月6日逝去)の父親(当時、宮城県仙台市で会社経営)と、宮城県登米郡石越町(現・登米市)出身の母親(元・卓球選手)との間に、1988年(昭和63年)[注 1]11月1日に宮城県仙台市の病院にて出生。福原自身は、仙台市青葉区国見ヶ丘出身としている[注 2]。「愛」という名は、出生の1年前に亡くなった祖母「愛子」からもらった[注 3]。

福原は6ヶ月でスイミングを始めた。10歳年上の兄が、東京在住の中国の卓球元チャンピオンに仙台に来てもらって[注 4]1-2回/月の指導を受けていたが、費用面から仙台に移住してもらって毎日指導してもらえる環境を整えた。このような環境下、母と兄の影響で、1992年(平成4年)8月13日に母からラケットをもらい、福原も卓球を始めた。すなわち、3歳9ヶ月から卓球の英才教育を受けたが、プレイするには身長が低かったため、ゴミ箱や並べた缶詰の上に乗って高さ調整をして、平日4時間、休日8時間の練習を毎日欠かさず行った。また、週末になると栃木県の有名な卓球クラブに出向き、泊まりがけで練習した。練習を始めて数ヶ月でミスなく100本ラリーが出来るようになり、4歳6ヶ月で1000本ラリーが出来るようになった。卓球クラブ「仙台ジュニアクラブ」に所属した。
「天才卓球少女」「泣き虫愛ちゃん」の始まり

初の公式戦出場は、1993年(平成5年)6月(4歳時)に開催された「宮城県小学生卓球選手権大会」であり、同大会で優勝、全国大会の同クラスでもベスト16に入った。公式戦中に泣き顔を見せたのはこの4歳のときだけである[注 5]。マスコミは、幼稚園生が小学生のクラスで快進撃を続ける姿に注目し、「天才卓球少女」と報道した。これ以降、行く先々にマスコミが集まるようになるが(4歳でテレビでの初インタビューを受けた)、天真爛漫に振舞う福原はテレビでもしばしば取り上げられ「卓球の愛ちゃん」として知られるようになり、また、厳しい練習にも泣きながら耐える姿や、試合中に不利になり始めると泣き出す姿から「泣き虫・愛ちゃん」とも呼ばれるようになって、一躍国民的アイドルとなった。

同年12月10日放送のフジテレビ「第2回 明石家さんまのスポーツするぞ!大放送」に出演。すると、番組内での対戦で明石家さんま[出典無効](当時38歳)が福原(当時5歳)を泣かせた[注 6]。デーモン小暮との対戦でも泣かされた[出典無効][注 7][注 8]。

1994年(平成6年)になると卓球専門誌「卓球レポート」の表紙に4月号で初登場し、同年5月には社会人リーグの大会(鹿児島県)、同年6月には社会人の全日本実業団卓球選手権大会(大阪府)に呼ばれてエキシビションマッチでプレーするなど、本来の卓球界においても全国各地に呼ばれる人気者となった。選手として2度目の全国大会に出場すると、個別にマスコミ対応していては福原の負担になるため初めて共同記者会見が開かれ、5歳10ヶ月の幼稚園生ながら全日本選手権バンビの部(小2以下)において、史上最年少で優勝した。

同年12月にはウッチャンナンチャンの南原清隆[出典無効]が「泣いた瞬間の愛ちゃんと記念撮影を撮る」という企画で福原と対戦して泣かせた。「初泣き!初打ち! お正月の愛ちゃん!! 八丈島で(秘)特訓」でも母との1000本ラリーが完遂しなかったため、泣きながら再度ラリーを続ける姿が放送された。

すなわち、公式戦では4歳時にしか泣いていないが、後に福原が「泣くまで撮影が続けられた」と語った[注 9]ように、長年『あっぱれさんま大先生』に出演し子役の扱い方を知っているはずの明石家さんまが泣かし、南原は泣かすことを公言して対戦し、母親から泣かせ方を伝授されるなど、バラエティ番組では制作側によって意図的に泣かされ、その泣き姿がスポーツ報道における福原の紹介ビデオ等でも繰り返し放送されたことで、まるで子役タレントのキャッチコピーのような「泣き虫・愛ちゃん」というイメージが固定化されていった[注 10]。その一方、同年の大会以降も数ある大会で優勝し、史上最年少記録を多く作っていくことで、「天才卓球少女」の名に違わぬ活躍を続けた。

仙台白百合学園幼稚園年長の1995年(平成7年)3月(6歳時)にテレビゲームソフトメーカー「ハドソン」のCMに初出演。同年4月に仙台市立吉成小学校に入学。
プロ宣言後

小4(10歳4ヶ月)でプロ宣言し、ミキハウス(大阪府八尾市)と専属契約を結び、1998年(平成10年)8月に仙台市より八尾市へ引っ越した[注 11]。

福原は当時できたばかりのミキハウス練習場に通うようになった。2年間通った王子卓球センターの作馬六郎から「王子サーブ」を習得し、以降このサーブは福原愛の代名詞ともなった(今はほとんど使っていない)。なお、同センター前の道路は、福原の功績により「ピンポン通り」と命名された。

大阪では公立小学校に通っていた。小6の6月に、ITTFジャパンツアー一般の部に選ばれ初出場で代表デビューを果たす。中学は大阪の強豪である私立四天王寺中への進学を考えていたが、福原は既にプロ契約をしていたため、アマチュア規程により全中やインターハイなどには出場できないという懸念があった。結局地元公立中へ入学したが、一ヶ月でスポーツの名門私立学校、青森山田中学校に転校した。青森山田中は中高一貫教育を目指してその年に開校。法人は卓球専用の体育館などの施設を備えている。同校を選んだのはミキハウスJSCに所属したままプロ活動をしたいという福原サイドの意向に、理解を示したのが大きな理由である。これにより福原は多くの卓球遠征が可能になった(その後福原は「卓球界に大きな貢献をした」ということで、全中もインターハイも国体も特例で出場できるようになった)。ミキハウスは青森JSC(ジュニアスポーツクラブ)という組織を作り、福原をその所属とした(他には青森大学の坂本竜介などがいて、混合ダブルスペアをよく組んでいる)。小西杏とはダブルスで全日本3連覇した(2005年以降、代表では藤沼亜衣と組んでいる)。

以降、中学の3年間は世界各地のITTFプロツアーに数多く出場。安定した成績を見せ、世界ランキングを上げていった。この頃国内の高校以下では無敵となり、また国際試合での強さも見せ、国内シニアの選手にも勝てるようになっていった。選考会などを経て14歳の若さで2003年世界卓球選手権個人戦に抜擢され出場し、日本勢の中で一人躍進、ベスト8に進出。この結果により翌2004年3月の世界選手権団体戦と、4月のアテネ五輪アジア予選出場が内定。2001年にはコーチの黄智敏と1分間に175回のラリーを続けるというギネス記録を達成している。
高校進学からアテネオリンピックまで

2004年4月、青森山田高等学校に進学。日本より一人選ばれたドーハでの大陸予選でシングルス3位となり、その前年に「オリンピックは夢の夢の夢の夢」と言っていた福原が日本女子3枠目の座を勝ち取り、史上最年少の15歳で出場した(他の出場者は梅村礼、藤沼亜衣。なお、小西杏と組んで挑んだダブルスは予選で敗退)。長嶋茂雄の代役として、聖火リレーの最終走者も務めた。アテネ五輪では1回戦をシード通過、2回戦をミャオミャオに辛勝、3回戦はガオ・ジュン(高軍)に圧勝、4回戦はキム・キョンア(金暻娥)に負けた。福原の試合はゴールデンタイムで放送され、3回戦はメダルのかかっていない試合にもかかわらず平均20.1%、最高視聴率31.9%を獲得。これはアテネ五輪放送の中でトップクラスの数字だった。
中国挑戦から北京オリンピックまで

2005年3月にはミキハウスとの契約が満了し、翌月グランプリとの契約を結ぶ。グランプリは福原が青森山田高校に通うことを承認、中国リーグに2年連続で参加することも支援。直後に、中国で最もレベルの高い中国超級(スーパー)リーグに参加、遼寧本鋼チームと契約した。この超級リーグは週1、2回の日程、広大な中国大陸を試合毎に行き来する移動に多忙を極めたが、福原は全試合に出場した。だが、チームに世界2位の王楠、4位の郭躍がいたため、シングルスの出番が少なくダブルスが多かった。期間中は中国のインタビュー番組や、卓球の雑誌にも登場した。8月の最終戦は岡山県で、日本で初の超級の試合を行った。2005年2月にはアジアカップで強豪の郭焱を破り2位に、同年11月の女子ワールドカップ(各大陸の世界ランキング上位者と推薦選手の16人でのITTF大会でまだ新しい大会)に推薦が決まり出場したが、リ・ジャウエイや帖雅娜といった強豪相手に快進撃を続け3位銅メダルを獲得し、世界ランクを一気に16位まであげた。2006年5月には世界選手権ブレーメン大会で銅メダル(2004年ドーハ団体に続き2度目)を獲得した。放送したテレビ東京の視聴率は最高12%を出した。好調だった2006年度はチームを広東佐川急便に変えて超級リーグに参加(なお、チームの2006年度オーナー権を福原サイド(千秀企画)が買っている)。

父は高校卒業後の進路として当初、大学も青森山田学園系列の青森大学を考えていたが、福原本人が早稲田大学スポーツ科学部を強く志望し、2006年8月より書類提出、面接を経て9月13日に合格が決まった。同学部による2年目の実施となるトップアスリート入学試験によるものであった。

2007年4月1日には早稲田大学スポーツ科学部に入学し青森から東京の阿佐ヶ谷に引っ越した。早稲田大学入学前「インカレなど大学の試合に出たい」との意向を示し、彼女の入学を受けて関東学連と日本卓球協会は、プロ選手が大学の大会に出場できるように事前に規約改正を行った。しかし同年5月に行われた春季リーグでチームを一部昇格に導くことはできず、それ以降インカレ、リーグ戦に出場することはなかった(翌2008年春リーグから関東学生リーグは1部所属校を6校から8校と増やした。)。2007年4月3日、全日本空輸(ANA)との所属契約(単年)を発表、同時にグランプリとの4年契約を2年で終了したことを発表した。これについて父親が「大学進学で東京に住むこともあり、環境すべてを見直したかった」と説明した。

2007年5月の第49回世界卓球選手権個人戦では3回戦敗退。大学の試合には2007年春リーグ以外出場しておらず、個人練習での強化に努めている。2007年4月より『とっさの中国語』(NHK教育)にレギュラー出演した。2008年1月、世界ランクが10位と、世界ランクの上位から1カ国・地域2名を上限とし上位20名に与えられる代表資格を獲得し北京五輪日本代表に内定した。6月、JOCから日本選手団の開会式旗手に任命された。卓球選手では初であり、最年少である。本人は会見で「(団旗の)グラムの重さより、日本(代表としての)の重さをすごく感じると思う」と意気込みを話した。五輪では平野早矢香、福岡春菜、福原の3人でシングルス、団体戦に出場した。
ロンドンオリンピックまで
2011年11月、ロンドンのエクセルで行われたロンドン五輪・テスト大会を兼ねたプロツアー・グランドファイナルにて石川と福原(右)
オリンピック凱旋パレード(2012年8月19日撮影)

その後よりレベルの高い試合で実戦感覚を養うことを目的として、2009年4月で早稲田大学卓球部での活動を休止し、海外で行われるITTFプロツアーを中心に出場。日本国内ではサンリツ(物流会社)の卓球部の一員として日本リーグに参戦することになった。そして、海外ツアーや中国のスーパーリーグ参戦を優先するため、および早稲田大学の単位の取得が困難になったために、2010年3月で早稲田大学を退学し、卓球に専念して2012年のロンドン五輪に臨む意向であることが関係者から明らかになった。2008年1月全日本卓球選手権で敗れた後、大学の授業にあまり出席できないこと、また2008年が五輪イヤーでもあることから関係者が福原の休学ないし中退を示唆していた(彼女は入学後も練習を早稲田大学では行わず青森や秋田で練習を続けた。また五輪出場権獲得のために世界ランク高位を維持するため、海外の卓球ツアーに多く出場したため欠席も多かった)。

2011年5月、ロッテルダム世界選手権混合ダブルスにおいて岸川聖也とペアを組み、この種目では日本選手34年ぶりの銅メダルを獲得。大会終了後の5月16日付世界ランキングで日本人2番目の9位となり、ロンドンオリンピックシングルス出場権を獲得。2011年11月27日にはロンドン五輪と同会場で行われたテスト大会のプロツアー・グランドファイナルで石川佳純と女子ダブルスに出場して準優勝を収め、主戦場としてきたシングルス以外に活路を見出していた。そして2012年1月21日、東京体育館で開催された全日本選手権において、決勝戦で石川佳純を4-1で下し、13回目の挑戦にして念願の選手権を獲得している。

2012年は3月に開催された第51回世界卓球選手権団体戦(ドイツの旗 ドイツ・ドルトムント)に石川佳純、平野早矢香、藤井寛子、石垣優香と共に日本代表として出場するも、準々決勝で大韓民国代表にフルセット(2-3)の末に敗れてメダルを逸してしまった。

7月に開催されたロンドンオリンピック卓球競技では、女子シングルス戦では第5シードとして3回戦から登場し、アンナ・チホミロワ(ロシア)を4-0と退け、4回戦ではジエ・リー(オランダ)に対し、ゲームカウント1-3と追い詰められたが、そこから3ゲームを連取して4-3でオリンピックでは自身初の準々決勝進出を達成。準々決勝では世界ランク1位の丁寧と対戦して、第1ゲームでは先にゲームポイントを迎えたが、これを取れず、結局0-4で敗れた。団体戦には平野早矢香、石川佳純と共に出場。1回戦アメリカ、準々決勝ドイツを破った後の準決勝シンガポール戦では第1戦目でシングルス銅メダリストの馮天薇を3-1で破った。続く2戦目の石川のシングルス、3戦目の石川・平野ペアのダブルスも日本が勝ち、日本勢オリンピック史上初の決勝進出を果たす。決勝戦で中国に0-3で敗れ2位となったが、日本卓球史上初となる銀メダルを獲得した。
リオデジャネイロオリンピックまで

ロンドンオリンピック終了後、8月24日に前年夏に故障した右肘滑膜ひだ障害の手術に踏み切った。また、故障を抱えながら出場した2012年3月の世界選手権(ドイツの旗 ドイツ・ドルトムント)やオリンピックなど、歴戦の疲労も蓄積していたので、手術箇所の治療や疲労回復等を目的に9月から10月は休養を続けた。11月から練習を再開し、12月6日に杭州で開催されたITTFワールドツアー・グランドファイナルで復帰したが初戦の2回戦で陳夢(中国)に敗れた。

2013年には平成24年度天皇杯・皇后杯全日本卓球選手権大会に出場、今大会はヒジ手術からの休養明けを考慮して女子シングルスのみの出場であったが、ブランクを跳ね返す試合運びで勝ち進み、前年同様に石川佳純との対戦になった決勝ではゲームカウント1-2の劣勢から3ゲームを連取する逆転勝ちを収めて2年連続優勝を飾った。

2013年の第52回世界卓球選手権個人戦では、世界ランク166位の朴晟恵(大韓民国)に緒戦で当たり、2-3の逆転負けを喫した。6月の荻村杯ジャパンオープンでは女子シングルス決勝で文玄晶(大韓民国)に4-0で勝利し、日本女子選手として初となる荻村杯優勝を果たした。

2014年の全日本卓球選手権大会女子シングルスにて、準決勝で森さくら(昇陽高)にストレートで敗れた。敗戦後、左第5中足骨の疲労骨折を発症したため、自国開催(日本の旗 日本・東京)の第52回世界卓球選手権団体戦を欠場した。6月13日の韓国オープンから公式戦に復帰する。荻村杯の女子ダブルスでは若宮三紗子とのペアで出場し、決勝で前年の世界選手権銅メダルペアの馮天薇、于梦雨組(シンガポール)を破り優勝。

9月、仁川アジア大会の団体戦決勝で中国と対戦し、チームは敗れて準優勝だったが、自身は第1戦で丁寧から初勝利をあげた。

2016年8月のリオデジャネイロオリンピックでは女子最年長で代表に選出。シングルスでは準々決勝でシンガポールの馮天薇を破り初の準決勝進出。しかし、準決勝では中国の李暁霞、3位決定戦では北朝鮮のキム・ソンイに敗れシングルスでのメダル獲得を逃した。団体戦では全試合で伊藤美誠とダブルスを組み出場。準決勝ドイツ戦ではシングルス3位決定戦を終えた翌日から足に痛みを訴え骨膜炎と診断された、その影響で黒星を重ねてしまい2大会連続の決勝進出を逃してしまったが、3位決定戦のシンガポール戦ではダブルスで1勝を挙げ2大会連続となる銅メダル獲得に貢献した。

リオデジャネイロオリンピック終了後の2016年9月1日に中華民国の卓球選手:江宏傑と国際結婚(入籍)。この件についてリオデジャネイロパラリンピック終了後の9月21日に東京都内で夫妻ツーショット記者会見を開いて正式に発表した。
現役引退、そして今

リオデジャネイロオリンピック以降は選手として公式戦に出場することは一度もなく、2017年1月の全日本卓球選手権大会も欠場した。

2017年6月29日、第1子妊娠を報告した。同年10月13日、第1子女児(長女)を出産。

2018年10月21日、自らのブログを更新して「若手が育ってきたこと、選手ではない違う立場で次のステップへ進みたい」などと語り、現役を引退することを表明した。その2日後の10月23日に東京都内に於いてプレスインタビューに応じ、自ら引退に至った理由などについて語った。

2018年12月5日、第2子妊娠を報告。2019年4月3日、第2子男児(長男)を出産。
略年譜

1988年(昭和63年)11月 – 宮城県仙台市にて誕生
1992年(平成4年)8月 – 卓球の練習をはじめる
1998年(平成10年)7月 – 大阪府八尾市に転居(9歳)。ミキハウスJSC(ジュニアスポーツクラブ)に所属。
1999年(平成11年)3月 – 日本卓球協会の理事会で承認され、レジスタードプロに登録(3月20日付け、10歳)
2005年(平成17年)4月 – グランプリと所属契約。(4年) 中国超級リーグに参加、遼寧省チームに入団(4月に契約、6月 – 12月まで中断をはさみ試合)
2006年(平成18年)
3月 – 中国スーパーリーグ、広東佐川急便チームに移籍(3月に契約、6月 – 8月まで試合)
8月 – 早稲田大学のスポーツ科学部トップアスリート入学試験に出願
9月13日 – 早稲田大学スポーツ科学部に合格
2007年(平成19年)
3月1日 – 青森山田高等学校卒業
4月1日 – 早稲田大学スポーツ科学部入学
4月3日 – 全日本空輸 (ANA) との所属契約(単年)を発表、同時にグランプリとの4年契約を2年で終了したことを発表
2010年(平成22年)3月 – 早稲田大学スポーツ科学部自主退学
2012年(平成24年)
1月 – 全日本選手権・女子シングルス初優勝
8月 – ロンドンオリンピック女子団体で銀メダル獲得
2013年(平成25年)
1月 – 全日本選手権・女子シングルス2年連続優勝
6月 – 荻村杯ジャパンオープン女子シングルス優勝
2015年(平成27年)
3月 – スペインオープン・女子ダブルス優勝ダブルスパートナー日本生命若宮三沙子選手
6月 – オーストラリアオープン・女子シングルス優勝
7月 – 韓国オープン・女子シングルス優勝
8月 – チェコオープン・女子シングルス優勝
2016年(平成28年)
8月 – リオデジャネイロ・オリンピック・女子シングルス 4位
8月 – リオデジャネイロ・オリンピック・女子団体で銅メダル獲得
9月 – 卓球選手の江宏傑(中華民国)と国際結婚、東京都内で婚姻届を提出し、共同記者会見で正式発表。
2017年(平成29年)
6月29日 – 第1子妊娠を報告。
10月13日 – 第1子女児を出産。
2018年(平成30年)
10月21日 – 現役引退を表明。
12月5日 – 第2子妊娠を報告。
2019年(平成31年)
4月3日 – 第2子男児を出産。

プレースタイル

右利き前陣速攻。中国卓球の経験を積んでいる事から、中国スタイルのペースの速い卓球である。

ラケット裏面には粒のある表ソフトラバーを貼り、ナックルなどの変化球を出すことが可能で、粒がやや高い表ソフトからのバックハンドに特徴がある。また、ラリー中に時折見せるラケットを反転してからのバックハンドも特徴的である。小学生の頃は日本卓球協会の規定で違う種類のラバーを貼れなかった為、両面表ソフトラバーであった。2007年全日本後あたりにラバーをハイテンションラバーに変え、フォームも振りを大きくするなど今までに無い改革に取り組んでいる[要出典]。

尊敬する選手は王楠。左利きに憧れている。体が柔らかく低い打球点から繰り出すバックハンドは世界でもトップクラスである。中学、高校前半の頃はよくピンチで王子サーブというしゃがみ込みサーブを使っていたが、今は返されることが多い為、全く使っていない[要出典]。

2006年11月のワールドカップでティエにストレート負けしたのを見て父親は海外では速い球を打てないと通用しないと考え「一度愛の卓球スタイルをぶっ壊す」と言っていた(しかし、その後もスランプが続いたため、戻したという話もある)[要出典]。

課題として、単調なショートサーブが多く、フォアハンドが弱い事が度々指摘されている。国内ではカットマンや、粒高ラバーなどの異質攻撃選手に苦手意識がある。また、「試合中、みんなが思っている以上に何も考えていません」と話すように、作戦をあまり考えないため、代表監督から怒られたこともある。それゆえ相手に研究されると弱い一面を持ち、本人は「ビデオ研究をすると、相手が強く見えるから嫌い」とあまり研究したがらない[要出典]。

2012年のロンドンオリンピックに際しては、課題とされていた下半身を中心とした筋力強化やフォアハンドの改善に取り組み、その成果が出たと評価されている。

小さい頃から天才少女と言われてきた理由の一つに、同世代の国内選手には負けなかった事がある。中1で全日本ジュニア(高校以下)を制すとその後3連覇。どの大会でも一度も負けなかった。だが2006年8月のインターハイ、シングル決勝で同じ年齢の宇土弘恵(就実)に初めて負けを喫した(ストレート負け)。

また、国際大会では世界の強豪相手に善戦して世界ランクを上げており、団体戦においても中国選手から勝利を収めてはいるが、国内大会の一般の部ではシングルの優勝が少なく、人気の割に実績が乏しいという印象を与えていた。全日本卓球選手権でも長年ベスト4を超えられず不本意な成績を残していたが、2012年1月、成長著しい連覇のかかった石川佳純を決勝で下し、ようやくシングルのタイトルを獲得した。なお、全日本の他の出場可能な部門(バンビ・カブ・ホープス・カデット13歳以下・カデット14歳以下・カデットダブルス・ジュニア・女子ダブルス・混合ダブルス)ではすべて優勝しており、史上初の全日本グランドスラム達成者となった。

小学校時代は「ヨー!」(「よーし」の略)というかけ声を使っていたが、中学以降は思春期に入ったためにこのかけ声を使わなくなり、中学後半ぐらいから徐々に大きなかけ声を出すようになり、アテネ五輪で「サー!」は福原の代名詞ともなった(もっとも卓球でこのように声を出す選手は多く決して珍しいことではない)。ただ、強い相手などにはかけ声が全然出ないこともある。「サー!」のかけ声には最大で3連続「サー!サー!サー!」もあり、「サー!ナイスボールサー!」もある。気合が入ると相手がミスしても「サー!」が出る。声が裏返る時もあり、年々闘争心が強くなっている。福原は「かけ声をかけるということは、自分が点を入れているという事なので、いっぱい叫びたいですね」と話す。声の音程には気を使っており、「会場で他の人と同じような音を出すと意味が無いじゃないですか」ということで今の甲高い声になったらしい[要出典]。
マネジメント

福原の両親は福原に徹底的に卓球の英才教育を施した。3歳から卓球を始めて選手時代の練習時間は毎日4-5時間から7-8時間はこなしており、休みは年に3日程度であった。

マネージメントは父親が行っていたが2008年以降母親と兄が行っていた。

2004年度末まで日本代表監督の西村卓二から熱血指導を受けてきたが、その後代表監督となった近藤欽司から指導を受けた。

現役当時には元中国チャンピオンなど専属の中国人を招聘して住み込みでコーチとして契約し、カットマン専門のコーチなど常に福原と帯同する形を採っていた。また頻繁に中国合宿を繰り返し、中国の技術を体に染み込ませ、コミュニケーションのため中国語も身につけた。コーチが瀋陽出身であったことから福原の中国語には東北官話訛りがあり、そのことも中国で福原が人気を集める要因の一つになっている。
人物

幼少時から天真爛漫な笑顔でお茶の間の人気者となっていたが、思春期になるにつれメディアに対し喋りたがらないことが増え、悲しそうな表情をすることも多くなった。福原自身は、当時を振り返って、「周りのこととか、卓球以外のことが見えてきていた」と語っている。中学2年生頃から、徐々に再び笑顔を見せるようになり、インタビューにもきちんと答えるようになった。

幼児期を除いて試合後、泣くことはほとんどなく、また勝って泣いたことは一度も無かった。しかし2008年2月の世界選手権広州大会、予選の韓国戦では5番手でフルゲーム、デュースの末に勝利して一位通過を決め、福原は珍しくメンバーとともに号泣し、喜んだ。

2007年12月、眼鏡をかけて成田空港に現れ、遺伝により乱視になったことを告白した。本人はコンタクトレンズにしたかったようだが、20分ではずしてしまうほどコンタクトレンズが合わず、眼鏡にしたとのこと。福原も「ぼやけて見えた世界が当たり前だったので、眼鏡をつけるとスッキリする」と視界不良を認めている。ただ視力自体は1.5-1.0と悪くない。
中国での評価

中国での福原への関心は高く、Yahoo!の中国サイトが2005年4月に発表した世界卓球8大美女に福原愛が選ばれた(他には張怡寧、王楠、白楊、リ・ジャウエイなど。日本人では他に柏木有希が選ばれている)。

当時の小泉純一郎首相の靖国神社問題などで、中国では反日感情が高まり日本に冷たい態度を示すことが多かったが、そんな中で福原のニュースを中国英字紙チャイナデイリーは2006年3月16日付紙面の1面トップで、卓球の中国超級リーグの広東省チームに移籍した日本人選手、福原愛のカラー写真を掲載した。写真は赤いユニフォーム姿の福原が地元の子供達に囲まれ笑顔を見せているもので、福原を「著名な日本の卓球選手」と好意的に紹介した。福原は日本の中国大使館を何度か表敬訪問しており、「中日友好」の色紙を持って王毅駐日大使(当時)と撮影に応じた。他にも日中友好関連のイベントに招かれている。

2008年2月の第49回世界卓球選手権団体戦では、「福原愛永遠支持」と横断幕を掲げた十数人の中国ファンが応援したり、日本ー韓国戦で福原が5番手で登場し接戦をものにした試合を中国メディアは「福原選手が大逆転演じる」(成都日報)、「感涙の福原愛 『観客が力くれた』」(新浪体育)、「みんな福原愛ちゃん大好き」(斉魯晩報)など、福原を中心に見出しや記事を構成した。また、インタビューを「中国語も英語も流暢で立派だ」と褒め称えるところもあった。(斉魯晩報)

同年4月には「福原愛は現在、日本のナショナルトレーニングセンターで北京五輪に向けて積極的にトレーニング中」と中国誌が報じた。上海万博事務協調局は24日、2010年の上海万博の日本親善大使に卓球の福原愛選手ほか2名に決定したことを発表した。同年4月26日の聖火リレー(長野市)では、当初日本オリンピック委員会からの出走依頼はなかったが、中国側から中国大使館枠で参加を要請され、走った。福原の走る姿は中国でも新聞の一面などで大きく報じられた。同年5月7日、胡錦濤国家主席が来日し、早稲田大学で特別講演した折に大学構内で卓球対戦した。胡錦濤に随行していた中国チャンピオンの王楠も参加。同席した日本の福田康夫首相も卓球に誘われたが不得手だということで断ったため、4人のダブルスではなく3人の変則卓球となった。この模様は日中両国で報道された。胡錦濤は福原に「あなたは私のことを知らないかも知れないが、私はあなたのことを知っている」と話しかけた。同年9月27日、山東省の煙台市沖の豪華客船で行われた王楠の結婚式に、王楠の介添え役(中国のメディアは「伴娘」と表記)として、セクシーなベアトップのドレス(中国のメディアは「性感低胸装」と表記)を装って出席した。中国のメディアは、このニュースを大きく報道した。王楠夫妻は既に2005年10月に結婚していたが、北京五輪の為に式をあげていなかった。なお、新郎の介添え役は当初王皓が務める予定だったが彼の試合があったために馬琳が行った。

中国でのニックネームは、”磁器人形” という意味の「瓷娃娃」(ツーワーワー)(英語化されると”Japanese doll”)、または、日本語の「愛ちゃん」を音訳した「爱酱(愛醤)」(アイジャン)や、意訳した「小爱(小愛)」(シャオアイ)、「泣き虫愛ちゃん」に相当する「愛哭鬼小愛」など。
エピソード

この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2011年5月)

時期により体重の増減が大きい(練習量が多く、その分食べるため)。大きな大会が始まると緊張、疲れから食が進まなくなり痩せてしまうため、大会前は多少体重を増やして臨むことが多い。ベストは48キロ。母親は小さい頃、食が細いのを心配したという。
NHK、2004年正月の番組で足型を取ったところ偏平足であった。足のサイズは24cmで本人はもっと身長が伸びると思っていたが中3で成長は止まってしまったという。公称155cm。
座右の銘は「よく寝て、よく食べ、よく笑う」だったが、2006年に兄から変更を促され「一意専心」に変わった。
子供好きだが、小、中学生ぐらいの大きな子は苦手と話している。
卓球以外のスポーツは苦手で高校の時、体育は好きな教科ではなかったという。小さい頃は水泳教室にも通っていて、親は卓球と水泳のどちらに専念させるか考えていた時期があった。ランニングが苦手だったが2005年以降ランニングなども強化し、筋力をつけスピード、パワーのアップを図っている。
スコートをたまに履くことがあり、2006年1月の全日本選手権ダブルスで小西と共にスコートを履いた。同大会ではベスト4まで進出したものの、「試合に集中できない」というコメントを出した。
アニメ「こてんこてんこ」で彼女の演じた役はその後かないみかが演じた。
大阪は2008年度五輪開催地として正式に立候補し、さまざまな招致活動を行ったが(大阪オリンピック構想)福原愛を誘致のシンボルの一つとした(福原が大阪に引っ越した一つの要因ともされる)。大阪は大阪五輪の盛り上げの一環として、2001年に世界卓球選手権シングル、団体(同時開催)を大阪に誘致し、福原愛もエキシビジョンとして桂三枝(現・六代桂文枝)とオープニングマッチを行なうなどして盛り上げた。
2004年1月の「クロアチアオープン」の最中に39度の高熱になった。
アテネ五輪では家族が大量のおにぎりを会場に持参したが、入り口のセキュリティ・チェックで「爆弾ではないか」と係員に一時引き止められた。
2004年10月、埼玉県彩の国まごころ国体では、会場のウイング・ハット春日部(客席3,500人)に連日5,000人もの客がつめかけ、国体初の入場規制がされることもあった。
2006年の「世界卓球選手権シンガポール戦では強豪リ・ジャウェイを下し予選リーグ通過を決めた。
秋田県湯沢市の稲住温泉敷地内に、卓球道場「友誼館」が完成し、2006年10月26日公開開始。移築してあった旧秋ノ宮村役場(白井晟一設計の建造物)を改装した。
2007年 – 2008年の年末年始に急性胃腸炎で入院した。
2008年6月、北京五輪選手で「さわやかな汗がもっとも似合う人」女子1位に選ばれた。
2008年9月、東京代々木体育館で、不審な男に追い掛け回されるハプニングがあった。男は婚姻届を持ち福原にサインを迫ったが、早大卓球部監督の機転で難を逃れた。
2016年夏季オリンピックにおける東京オリンピック構想のイメージキャラクターの1人として、都営バスの一部車両に福原が描かれたラッピング車両が存在した。
バドミントンの藤井瑞希とは青森山田高校で同級生で出席番号(五十音順)も近いこともあって仲が良く、2012年のロンドンオリンピックで藤井瑞希・垣岩令佳ペアが銀メダルを獲得した際には選手村の宿舎で号泣しながら出迎えた(藤井とペアを組んでいた垣岩令佳も高校の後輩にあたる)。
幼少期に「ルックルックこんにちは」に出演した際、岸部シローらが馬鹿騒ぎばかりしたため「うるさい」と怒鳴った(放送時の東京新聞の芸能欄の投書から)。

戦歴

1992年8月 – 3歳で初めてラケットを握る。
1993年9月 – 全日本卓球選手権大会・バンビの部(8歳以下の部)ベスト16
1994年9月 – 全日本卓球選手権大会・バンビの部優勝
1995年9月 – 全日本卓球選手権大会・バンビの部優勝
1996年9月 – 全日本卓球選手権大会・バンビの部優勝
1997年8月 – 東アジアホープス大会(日本代表)
1997年9月 – 全日本卓球選手権大会・カブの部(10歳以下の部)優勝
1997年11月 – 全日本卓球選手権大会・カデットの部(13歳以下の部)優勝(小3)
1998年7月 – 大阪に転居。ミキハウスJSCに所属。
1998年8月 – 東アジアホープス大会(日本代表)
1998年9月 – 全日本卓球選手権大会・カブの部(10歳以下の部)優勝
1998年11月 – 全日本卓球選手権大会・カデットの部(14歳以下の部)ダブルス優勝・シングルス準優勝
1998年12月 – 全日本卓球選手権大会・一般の部 ダブルス ベスト32(史上最年少出場)、ジュニアの部(17歳以下の部)シングルス準優勝(史上最年少出場)
1999年3月20日 – レジスタードプロに登録
1999年8月 – 東アジアホープス大会(日本代表)シングルス ベスト8
1999年9月 – 全日本卓球選手権・ホープスの部(12歳以下の部)優勝
1999年11月 – 全日本卓球選手権・カデットの部(14歳以下の部)準優勝
1999年12月 – 全日本卓球選手権・ジュニアの部(17歳以下の部)ベスト4、一般の部 シングルス ベスト64(史上最年少出場、最年少勝利)
2000年6月 – ジャパンオープン(日本代表)シングルス ベスト64、ダブルス ベスト32 日本代表初出場(小6)
2000年9月 – 全日本卓球選手権・ホープスの部(12歳以下の部)優勝(7連覇)
2000年11月 – 全日本卓球選手権・カデットの部(14歳以下の部)優勝
2000年12月 – 全日本卓球選手権・ジュニアの部(17歳以下の部)ベスト32
2001年1月 – 第30回後藤杯選手権 女子シングルス 優勝(一般の部でのシングルス初優勝)
2001年4月 – 東アジアホープス大会(日本代表)団体2位、シングルス3位
2001年6月 – 中国オープン 決勝トーナメント進出
世界ランク:126位
2001年9月 – ジャパンオープン シングルス ベスト16、ダブルス ベスト8
世界ランク:98位
2001年12月 – デンマークオープン シングルス ベスト8、ダブルス ベスト8
世界ランク:67位
2001年12月 – 全日本卓球選手権 ジュニアの部優勝、一般の部 シングルス 7位、ダブルス 3位
2002年8月 – 全国中学校卓球大会 女子シングルス優勝
2002年9月 – ジャパンオープン ダブルス ベスト8
2002年10月 – 釜山アジア大会 女子団体 銅メダル
2002年12月 – 全日本卓球選手権 ダブルス優勝、ジュニアの部優勝
2003年2月 – アジア選手権 女子ダブルス準優勝
2003年3月 – 日本卓球リーグ実業団連盟ドリームチャレンジカップ 女子シングルス 優勝 推薦参加
2003年5月 – 第47回世界卓球選手権個人戦 シングルス ベスト8
2003年8月 – 全国中学校卓球大会 シングルス優勝
2003年9月 – アジアジュニア卓球選手権大会 女子団体ベスト4、ダブルス ベスト4
2003年9月 – 中国オープン 3回戦敗退
2003年9月 – ジャパンオープン 3回戦敗退
2003年11月 – ドイツオープン シングルス(アンダー21)優勝
2003年11月 – スウェーデンオープン シングルス(アンダー21)優勝
2003年12月 – 第1回世界ジュニア選手権大会(チリ)ダブルス 銅メダル、シングルス ベスト8
2004年1月 – 全日本卓球選手権 女子ダブルス優勝、ジュニアの部優勝
2004年3月 – 第47回世界卓球選手権団体戦 女子団体 銅メダル
2004年4月 – アジア大陸オリンピック予選 シングルス 3位(アテネオリンピック出場決定)
2004年8月 – アテネオリンピック シングルス ベスト16 ※(直後の世界ランキングwr19位に、初の10位台)次項に詳述あり
2004年10月 – 国体優勝 少年女子団体の部、青森県代表として(埼玉)
2004年12月 – 世界ジュニア卓球選手権大会2004 神戸大会
女子シングルス 3位
混合ダブルス 3位
女子団体 準優勝
2005年1月11~16日、全日本卓球選手権大会
女子シングルス 6回戦敗退
女子ダブルス 優勝
混合ダブルス 優勝
2005年2月 – ジャパントップ12卓球大会 準優勝
2005年3月12・13日 – 第17回女子アジアカップ シングルス 準優勝※(直後の世界ランキングwr32→wr23へ大幅アップ)
2005年3月28日 – 高等学校選抜卓球大会 団体戦準優勝(青森山田高校)
2005年3月31日 – ミキハウスジュニアスポーツクラブ満期終了、一時フリーになる
2005年4月1日 – 中国スーパーリーグ遼寧省チーム入団(一年契約)
2005年4月11日 – グランプリと4年契約を結ぶ
2005年4月30日~5月6日 – 第48回世界卓球選手権上海大会
女子シングルス 3回戦敗退
女子ダブルス ベスト8
混合ダブルス 3回戦敗退
2005年9月 – アジア卓球選手権、ダブルスで銅メダル、ペアは藤沼
2005年10月 – 国体2連覇 少年女子団体の部、青森県代表として(岡山)
2005年11月 – ITTF女子ワールドカップ3位(銅メダル)中国広州 ※(直後の世界ランキングwr25→wr16へ大幅アップ)
2006年1月 – 全日本卓球選手権大会
女子シングルス ベスト8
女子ダブルス ベスト4
混合ダブルス 準優勝
2006年2月 – ジャパントップ12卓球大会 準優勝
2006年3月5日 – 第19回グランプリアジアカップ シングル5位
2006年3月15日 – 超級リーグ広東チームへの移籍契約調印を行う
2006年4月9日 – 日本卓球リーグ実業団連盟 ビッグトーナメント 女子シングルス 優勝(推薦参加)
2006年4月24日 – 5月1日 – 第48回世界卓球選手権ブレーメン大会
女子団体 銅メダル
2006年6月 – ITTFワールドツアー台湾オープン ダブルス優勝 ツアーでは初の優勝、ペアは藤沼
2006年8月7日 – 11日 – インターハイ
女子団体 準優勝
女子シングルス 準優勝
女子ダブルス 優勝
2006年9月 – ITTFワールドツアージャパンオープン ダブルス銅メダル
2006年10月 – 国体優勝3連覇 少年女子団体の部、青森県代表として(兵庫)
2007年1月 – 平成18年度全日本卓球選手権大会
女子シングルス ベスト16
女子ダブルス 4回戦(初戦)敗退
混合ダブルス 優勝(坂本竜介ペア)
2007年2月10日 – ジャパントップ12卓球大会 準優勝
2007年4月8日 – ビッグトーナメント 初戦敗退
2007年4月30日 – 5月6日 – 第49回世界卓球選手権ザグレブ大会
女子シングルス 3回戦敗退
女子ダブルス 2回戦敗退
混合ダブルス 3回戦敗退
2007年10月 – ITTFワールドツアー オーストリアオープン ダブルス優勝(平野早矢香とのペア)ツアーでは2度目の優勝(ダブルス)
2008年1月 – 平成19年度全日本卓球選手権大会
女子シングルス ベスト16
女子ダブルス 優勝(照井萌美とのペア)
混合ダブルス 準決勝敗退(坂本竜介ペア)
2008年2月9日 – ジャパントップ12卓球大会 ベスト4
2008年2月 – 第49回世界卓球選手権広州大会
女子団体 銅メダル
2009年1月 – 平成20年度全日本卓球選手権大会
女子シングルス ベスト4
2009年2月 – ジャパントップ12卓球大会 準優勝
2009年7月 ITTFワールドツアーモロッコオープン
女子シングルス 優勝 ツアーでは初の優勝(シングル)
女子ダブルス 優勝(石川佳純ペア)ツアーでは3度目の優勝(ダブルス)
2009年11月 – 第19回アジア卓球選手権大会 混合ダブルス 3位
2009年12月 – 東アジア競技大会 女子ダブルス 優勝
2010年2月 – ジャパントップ12卓球大会 準優勝
2010年3月 – ITTFワールドツアーハンガリーオープン
女子ダブルス 優勝(石川佳純ペア)ツアーでは4度目の優勝(ダブルス)
2010年10月 – ITTFワールドツアードイツオープン
女子ダブルス 優勝(石川佳純ペア)ツアーでは5度目の優勝(ダブルス)
2011年1月 – 平成22年度全日本卓球選手権大会
女子シングルス ベスト4
2011年4月 – 日本卓球リーグ ビッグトーナメント石川大会
女子シングルス 優勝
2012年1月 – 平成23年度全日本卓球選手権大会
女子シングルス 優勝(初)
2013年1月 – 平成24年度全日本卓球選手権大会
女子シングルス 優勝(2)
2013年4月 – 日本卓球リーグ ビッグトーナメント愛媛大会
女子シングルス 優勝
2013年6月 – ITTFワールドツアー荻村杯ジャパンオープン
女子シングルス 優勝 ツアーでは2度目の優勝(シングル)単では日本人として初の優勝者である。
2013年11月ーITTFワールドツアードイツオープン
女子シングルス 準優勝
女子ダブルス 準優勝(若宮三沙子パートナー)
2014年1月 – 平成25年度全日本卓球選手権大会
女子シングルス ベスト4
2014年6月 – ITTFワールドツアー荻村杯ジャパンオープン
女子ダブルス 優勝(若宮三紗子ペア)ツアーでは6度目の優勝(ダブルス)
2014年8月 – ITTFワールドツアーチェコオープン
女子シングルス 準優勝
女子ダブルス 優勝(若宮三沙子パートナー)ツアーでは7度目の優勝(ダブルス)
2014年9月 – 仁川アジア大会
女子団体 準優勝
混合ダブルス ベスト4
2015年3月 – ITTFワールドツアースペインオープン
女子ダブルス 優勝(若宮三紗子ペア)ツアーでは8度目の優勝(ダブルス)
2015年5月 – ITTFワールドツアーフィリピンオープン
女子シングルス 準優勝
2015年6月 – ITTFワールドツアーオーストラリアオープン
女子シングルス 優勝 ツアーでは3度目の優勝(シングルス)
2015年7月 – ITTFワールドツアー韓国オープン
女子シングルス 優勝 ツアーでは4度目の優勝(シングルス)
2015年8月 – ITTFワールドツアーブルガリアオープン
女子シングルス 準優勝
2015年8月 – ITTFワールドツアーチェコオープン
女子シングルス 優勝 ツアーでは5度目の優勝(シングルス)
2016年3月 – 第53回世界卓球選手権団体戦 女子団体 銀メダル

オリンピックでの対戦成績

アテネオリンピック女子シングルス
2回戦 – オーストラリアのミャオ・ミャオと対戦し、4-3で勝利。
3回戦 – アメリカのガオ・ジュン(世界ランク12位)と対戦し、4-0で勝利。
4回戦 – 韓国の金暻娥(世界ランク6位)と対戦し、1-4で敗退。8強ならず。

北京オリンピック女子シングルス
3回戦 – トルコの侯美玲(世界ランク80位)と対戦し、4-1で勝利。
4回戦 – 中国の張怡寧(世界ランク1位)と対戦し、1-4で敗退。8強ならず。

ロンドンオリンピック女子シングルス
3回戦 – ロシアのアンナ・チホミロワと対戦し、4-0で勝利。
4回戦 – オランダのジエ・リーと対戦し、4-0で勝利。
準々決勝 – 中国の丁寧と対戦し、0-4で敗退。

リオオリンピック女子シングルス
3回戦 – ルーマニアのダニエラ・モンテイロドデアンと対戦し、4-0で勝利。
4回戦 – 北朝鮮の李明順と対戦し、4-0で勝利。
準々決勝 – シンガポールの馮天薇と対戦し、4-0で勝利。
準決勝 – 中国の李暁霞と対戦し、0-4で敗退。
3位決定戦 – 北朝鮮のキム・ソンイと対戦し、1-4で敗退。

成績

※最高成績
シングルス

オリンピック ベスト4(2016)
世界卓球選手権 ベスト8(2003)
ワールドカップ 銅メダル(2005)
ITTFワールドツアー・グランドファイナル ベスト4(2010)

ダブルス

世界卓球選手権 ベスト8(2005, 2009, 2013)
ITTFワールドツアー・グランドファイナル ベスト8(2007, 2010, 2014)

混合ダブルス

世界卓球選手権 銅メダル(2011)

団体戦

オリンピック 銀メダル(2012)
世界卓球選手権 銀メダル(2016)
ワールドカップ 銀メダル(2011, 2013)

対戦成績

ITTF公式戦における主要選手とのシングルス対戦成績。 太字は最高世界ランク1位の選手

対戦数の多い選手

シンガポールの旗 馮天薇 4-14
香港の旗 帖雅娜 4-12
中華人民共和国の旗 郭躍 4-8
中華人民共和国の旗 李暁霞 1-11
大韓民国の旗 金キョン娥 1-11
チャイニーズタイペイの旗 黄怡樺 11-0
シンガポールの旗 リ・ジャウェイ 7-4
中華人民共和国の旗 劉詩雯 1-9
大韓民国の旗 梁夏銀 8-2
ハンガリーの旗 クリスティナ・トート 10-0

その他の主要な選手

中華人民共和国の旗 王楠 0-6
中華人民共和国の旗 張怡寧 0-6
中華人民共和国の旗 郭炎 1-7
中華人民共和国の旗 丁寧 1-6
中華人民共和国の旗 朱雨玲 0-3
日本の旗 平野早矢香 4-1
日本の旗 石川佳純 1-5
日本の旗 伊藤美誠 2-0
日本の旗 平野美宇 3-0

世界ランキング
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2001年 255 251 251 248 126 127 123 102 98 67 65
2002年 60 75 74 74 67 76 67 68 74 79 85
2003年 84 86 89 91 91 54 58 58 57 47 46 38
2004年 32 30 25 25 25 26 27 27 21 19 21 25
2005年 29 30 23 24 24 24 25 25 24 23 25
2006年 17 19 17 16 16 14 14 14 16 16 15
2007年 13 15 11 12 11 12 12 12 12 12 10 10
2008年 10 9 9 11 13 12 12 12 12 13 17 16
2009年 21 21 27 31 31 29 28 24 23 24 21 22
2010年 21 15 8 9 8 9 10 10 9 11 10 9
2011年 8 10 8 7 7 9 8 8 8 8 8 9
2012年 9 9 11 10 9 8 7 6 6 7 7 6
2013年 7 8 10 12 12 15 14 14 15 14 14 9
2014年 9 9 10 11 13 14 14 16 11 10
2015年 11 11 11 8 8 8 9 6 6 4 4 4
2016年 4 4 5 6 7 7 7 8 9 10 12 12
受賞等

1993年 – 功労賞(日本卓球協会)
1994年 – 未来賞(ミロ[要曖昧さ回避]スポーツ大賞)
1995年 – 日本スポーツ賞(読売新聞社)、特別奨励賞(宮城県体育協会)
1996年 – 奨励賞(宮城県体育協会)、感謝状(兵庫県卓球協会)、感謝状(ライオンズクラブ)
1997年 – 奨励賞(宮城県体育協会)、スポーツ奨励賞(仙台市教育委員会)
1998年 – 奨励賞(宮城県体育協会)、スポーツ奨励賞(仙台市教育委員会)
2003年 – 第5回王国大賞、プレイヤー・オブ・ザ・イヤー(卓球王国)
2004年
第4回日本卓球人賞
2月2日 – イタリア・テルニの親善大使を委嘱された。
2005年1月 – 夢見る女の子大賞(ロッテ主催)
2011年3月2日 – 仙台観光アンバサダー(親善大使)の初代大使を委嘱された(任期:2年)。
2012年
9月10日 – 賛辞の盾(仙台市)
9月22日 – 杉並区スポーツ栄誉賞
10月4日 – 宮城県特別表彰
2013年4月17日 – 仙台観光アンバサダーを再委嘱された(任期:2年)
2014年 – 第43回ベストドレッサー賞(スポーツ部門)
2016年 – 第3回Yahoo!検索大賞 パーソンカテゴリ アスリート部門賞
2017年 – 第28回日本ジュエリーベストドレッサー賞 特別賞
2017年 – BLOG of the year 2016
2018年 – 報知プロスポーツ大賞特別功労賞

主な出場イベント

2000年4月4日、東京ドームで日本ハムの始球式を務める。

2004年1月、ミキハウスの毎年恒例の新年会に最後の参加をした(ゲストは星野仙一)。同年6月、ミキハウスの五輪壮行会に参加、同年6月6日には新宿で2004年アテネオリンピックの聖火リレーの日本国内での最終ランナーを務めた。同年10月20日、新宿、都庁前で一日警察署長を務める。

2005年2月、中国大使館を表敬訪問、卓球交流を行った。同年3月2日、中越地震で被災した長岡市立南中学校を慰問、卓球交流。同年4月23日(反日感情が悪化していた時期) – 中国大使館訪問、王毅駐日大使に表敬。同年5月14日 – 映画『KARAOKE-人生紙一重-』(グランプリ製作)の試写会にゲスト出演。同年7月、「中国と日本60年の歩み」写真展(東京)ジャッキー・チェンとともにイベントに呼ばれる。(福原は晴れ着で登場した。同年9月、青森山田高校体育館で、幼稚園生を対象にこてんこてんこと気球イベント。同年9月19日、愛・地球博の上海ウイークのイベントに出場した。同年11月20日、青森市でスペシャルオリンピックスのトーチランの伴走者を務めた。

2006年3月31日、北京市で行われた日中卓球交流50周年記念イベントに参加、同年10月11日、外国特派員協会の昼食に招かれインタビューに応じた。同年10月12日、全国旅館生活衛生同業組合連合会(全旅連)の「お宿親善大使」に選ばれた

2007年5月、糖尿病対策の会見「グリコヘモグロビン認知向上運動」に出演。

2008年3月24日、谷村新司、コシノジュンコとともに、上海万博のイメージ大使に選ばれた。2010年7月19日、上海万博の日本のPR大使として見学中に突然、気分が悪くなって倒れ、1時間余り休憩した後、貧血だったと話した。

2012年9月22日、杉並警察署の一日警察署長を務めた。同年10月4日、日本製紙クリネックススタジアム宮城の楽天イーグルス対埼玉西武ライオンズ戦で始球式を務めた。

2016年9月10日、新宿警察署の一日警察署長を務めた。
テレビ出演

愛が見えた!泣き虫愛ちゃん14年の挑戦(フジテレビ、2003年3月2日)

特別番組で、福原を幼少から成長を追って取り上げたドキュメント。司会は安藤優子。視聴率は14.3%だった。

スポーツ大陸(NHK-BS1・BShi、2005年9月3日)

ドキュメンタリー番組。同日放送回において、超級を中心に取り上げた。NHK総合でも再放送。

アンテナ22(日本テレビ、2006年1月16日)

同日の放送回において、前年の超級や学校生活に密着した。

新春スペシャル対談 未来に架ける橋(NHK-BS1、2006年1月)

谷村新司との100分に渡る対談番組。

こてんこてんこ(テレビ東京、2006年1月)

テレビアニメ。妖精アイちゃん役として、声の出演。

とっさの中国語(NHK教育、2007年4月 – 9月)

2005年12月26日・2006年1月9日の二度にわたり同局で放送された『中国語会話』においてインタビューを受けたことなどがきっかけで、NHKの語学番組出演に関心を持つようになり、出演依頼を快諾した。番組では、共演者の盧思が「ネイティブ並み」と評する発音で、その日のフレーズを紹介する役割を担う。毎週5分という短さであるが、福原にとって初めてのレギュラー番組である。福原の出演部分は時間的都合を考え、全25回分まとめ撮りされた。

CM出演

ハドソン
日清オイリオ

2007年4月より放送。また、福原の栄養サポートも行っているとのこと。

全日空…福原が中国の瀋陽で実際に好きなものをカメラで撮ってくるという企画があった。1.SL編(自分で石炭も入れた)2.竹筒マッサージ、3.散髪編(自分で他人の散髪にも挑戦)、4.卓球練習場、の4種類が放送された。
『福原愛@瀋陽』
『SL篇』
『竹筒マッサージ篇』
『体育学院篇』
『散髪篇』
企業CM
『ひまわり篇』
LIVE/中国線就航20周年/ANA
『卓球編』 (2007年3月 – )
三井生命保険
日本コカコーラ「アクエリアス」
Yahoo!BB
グランプリ
トヨタ自動車
佐川急便
グンゼ
永谷園「すし太郎」(和田アキ子と共演)
アサヒスーパードライ(2016年)…江宏傑と夫婦共演
全日空2017年 旅割(ゴールデンウィーク)
アース製薬「サラテクト」(2018年)…江宏傑と夫婦共演

アテネ五輪の試合放送

アテネ五輪初戦当日、福原の試合は20時頃から始まったが当初生中継はされていなかった。しかしテレビ東京は競泳の録画放送から彼女が2ゲーム取られピンチの状態から生中継を開始した。30分程度の放送がされ試合途中で番組は終了した。この試合ではフルゲームの末、逆転勝利した。

同日、NHK-BS1とNHK総合は23時頃から、TBSは0時頃から録画放送を開始。その3局は他局と時間がかぶっているにもかかわらず、ノーカットで試合放送した。次の3回戦はNHK、TBSが生放送をした(19:30-)。NHKだけで平均視聴率は20.1%、勝利した瞬間の最高視聴率は31.9%という高視聴率をマークした(関東地区、ビデオリサーチ調べ)。NHKが「卓球の愛ちゃん人気の高さには驚きました」と話したように、この数字は各局に少なからぬ衝撃を与えた。

最終試合となった3試合目、4回戦は開始が0時頃だったが、これはフジが生放送。2戦目に比べ数字の取りにくい時間帯だったが、これも高視聴率をマーク。福原が敗れた瞬間の最高視聴率は22.7%(フジ:19日0時34分)。

2004年にマクロミルが調査した「アテネオリンピックで注目・期待する選手」についてのアンケートで北島康介と谷亮子に次いで3位となった。福原はメダルを取れなかったが、マスコミは他のメダリストとともに福原を番組に呼んでインタビューを繰り返した。

アテネ五輪で初めて福原の試合を見たという人が多く、その人たちには福原が出す「サーッ!」という声をはじめて聞くことになり、小さい頃は泣きながら卓球をやっていた少女が、あんなに元気よく声を出していることに感銘を受けた人も多かった。各局のインタビューでは、必ず「サー」の質問がされ、「あれはサーなのか、ターなのか、シャーなのか」という論議がしばらく続いた。『報道ステーション』(テレビ朝日)のインタビューでは「気合いです。何て言ってるのか分からない。」とコメントした。声紋を機械にかけたところ、発音は「ター!」であることが判明した。
関連商品

いくぜ!温泉卓球(彩京、PS2ゲームソフト、2000年12月21日)小学6年の福原愛が対戦相手として登場
福原愛の卓球一直線(サクセス、PS2ゲームソフト、2005年)高校生の福原愛となって戦う。
愛ちゃんに挑戦! エキサイトピンポン(エポック、体感ゲームシリーズ、2006年7月)子供の福原愛と、高校生の福原愛と戦える。ラケットにサインが印刷されている。
福原愛物語(少年サンデーで漫画化、あおやぎ孝夫作、2004年8月4日)
卓球ラケット「福原愛」(バタフライ)
卓球シューズ「WAVE FLORA AI」(ミズノ)
卓球練習マシーン「マシンガン愛I、II」(TSP)
卓球のレッスンDVDバタフライより発売されている。
中国の卓球選手ばかりが歌うラップ曲2曲に特別参加している。(2005年・2006年)
2006年度福原愛カレンダーがANAより作られる。(2005年12月)
2頭身フィギュア(ロッテのガムの懸賞の商品になった。2006年)

福原をとりあげた書籍

福原愛写真集「LOVE ALL」(卓球王国、2005年3月)
愛は天才じゃない – 母が語る福原家の子育てって?(生島淳著、2005年1月、三起商行)母のインタビュー本。
愛ちゃんのあ。(福原の母の著、1997年10月、リイド社)
スポーツのニューヒロイン〈2〉福原愛物語(本郷陽二著、2005年11月、汐文社) 子供向け
卓球王国(1996年 – )
創刊号以来何度も表紙を飾り、インタビューも数多く取り上げられた。月刊福原愛という1Pの記事があり、名称は何度か変わったが、小学生の頃から続いている企画がある。
卓球レポート(1994年 – )
AERA(朝日新聞出版、2003年5月12日)表紙を飾った。
小学一年生(小学館、1995年4月 – 1996年3月)表紙を飾った。
中国の卓球雑誌「世界卓球」(2005年8月)で表紙や本編などで大きく取り上げられた。

 

サラテクトのCM出演者は誰?

サラテクトのCMについて調べました。

 

CMはこちら。

【CM】アース製薬 サラテクト

出演しているのは「福原 愛(ふくはら あい)」さんと「江 宏傑(ジャン・ホンジェ、Chiang Hung-Chieh、こう・こうけつ)」さんです。

福原 愛さんのプロフィールはこちらです。

江 宏傑さんは1989年2月22日、台湾出身の女優、歌手、元アイドルです。




 

 

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真野 恵里菜(まの えりな)さんプロフィール

真野 恵里菜さんについて調べました。

 

真野 恵里菜(まの えりな、1991年4月11日 – )は、日本の女優、歌手。元ハロー!プロジェクトメンバー。

神奈川県出身。ジャストプロ所属。









 

まの えりな
真野 恵里菜
生年月日 1991年4月11日(27歳)
出生地 日本の旗 日本 神奈川県
身長 159 cm
血液型 B型
職業 女優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 2006年
配偶者 柴崎岳2018年 – )
事務所 ジャストプロ
公式サイト 真野恵里菜オフィシャルWEBサイト
主な作品
映画
THE NEXT GENERATION -パトレイバー-
orange
BLEACH』『坂道のアポロン


テレビドラマ
とと姉ちゃん
逃げるは恥だが役に立つ

 

略歴
    ハロプロエッグ以前
        松浦亜弥に憧れて『ハロプロ エッグ オーディション2004』に応募したが、落選した。翌2005年に『アップフロントグループ『エッグ』オーディション』に再応募した[注釈 1]。
    2006年
        6月4日、上記オーディションに合格し「ハロプロエッグ」の第2期メンバーになる[注釈 1]。
    2007年
        1月2日、「Hello! Project 2007 Winter 〜ワンダフルハーツ 乙女Gocoro〜」でコンサート初出演。
        5月13日、「第1回Hello! Project新人公演」に出演。
        6月19日、「音楽ガッタス」にメンバーとして参加する。同時にフットサルチーム「Gatas Brilhantes H.P.」に所属する。
    2008年
        3月2日、音楽ガッタスを卒業。また「2008 ハロー!プロジェクト新人公演 3月 〜キラメキの横浜〜」を最後に、ハロプロエッグの研修を修了し、ソロ歌手デビューすることが発表された。
        3月29日、ハロプロエッグを卒業。
        6月29日、インディーズソロデビューシングル「マノピアノ」発売。また、品川ステラボールにてファンクラブ限定お披露目握手会イベントを開催。
        7月19日、ソロになってから初めてのハロー!プロジェクトのコンサートである『Hello! Project 2008 Summer ワンダフルハーツ公演〜避暑地でデートいたしまSHOW〜』に参加。
        11月10日、スタ☆ブロにてブログ開始。
        12月10日、BS-TBSの『Pocky 4 Sisters! 〜出せない手紙〜』で女優デビュー。
    2009年
        2月10日、1st写真集『真野恵里菜』発売。
        3月18日、「乙女の祈り」でメジャーデビュー。
        4月1日、DVD『マノグアム』発売。
        6月6日、初の単独コンサート『真野恵里菜デビューコンサート「プロローグ 〜乙女の祈り〜」』開催。
        9月13日、初の単独コンサートツアーをスタート(9月22日まで)。
        10月6日、テレビ東京系『キティズパラダイスpeace』にレギュラー出演。番組のエンディングテーマも担当。
        12月16日、12月23日 – 25日に行われた「テレビ朝日 クリスマスキャンペーン」のイメージキャラクターに決定。また、アルバム『FRIENDS』収録曲「OSOZAKI娘」もイメージソングに決定。
    2010年
        1月21日、GREEブログ開始。
        2月24日、第24回日本ゴールドディスク大賞「ザ・ベスト5ニュー・アーティスト」に選出される。
        4月1日、Twitterを開始。
    2011年
        12月に公開された映画『仮面ライダー×仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦MEGA MAX』でなでしこジャパンにちなんだ仮面ライダーなでしこ(美咲撫子)を演じた。なお、真野自身は川澄奈穂美のファンであり、「筋肉がたくましくて素敵ですね」と語っている。
    2012年
        4月19日、赤坂BLITZで行われた『寄席LIVE3』で、古典落語に初挑戦。
        5月16日、アメブロ開始。
        7月21日、オリックス劇場で行われた『Hello! Project 誕生15周年記念ライブ 2012 夏』にて、2013年2月23日にハロー!プロジェクトを卒業することを発表。
    2013年
        2月23日、中野サンプラザにて行われた「真野恵里菜メモリアルコンサート2013「OTOME LEGEND〜For the Best Friends」」を最後にハロー!プロジェクトを卒業した。
        9月25日、実写版機動警察パトレイバー『THE NEXT GENERATION -PATLABOR-』に主演・泉野明[注釈 2]役で出演することが発表された。
    2016年
        5月26日、Instagram開始。
        7月14日、LINE BLOG開始。
        8月、主演映画『青の帰り道』のロケが群馬・前橋で行われていたが、同月23日に共演者の高畑裕太が滞在先の前橋市内のホテルで逮捕され(のちに不起訴処分)、撮影は中止された。
    2017年
        8月2日、高畑の代役に戸塚純貴を立てて『青の帰り道』の撮影が再開され、13日にオールアップ。
    2018年
        5月15日、真野が『青の帰り道』の同年冬公開を報告。
        5月29日から6月3日までドイツ・フランクフルトで開催される日本映画専門映画祭「第18回ニッポン・コネクション」に『青の帰り道』が出品される。
        7月16日、プロサッカー選手・柴崎岳(日本代表MF・ヘタフェCF所属)との結婚を報告。
        9月18日、夫の柴崎の住むスペインに生活拠点を移したことを報告。
人物
    ピアノを幼稚園から中学3年生まで習っており、弾き語りによる歌唱も行う。ヤマハから特製モデル電子ピアノ「マノピアノ」(ヤマハ・PシリーズP-155 真野スペシャル)を贈られた。ピアノ奏者の中ではリチャード・クレイダーマンに私淑していると述べている。
    夫はプロサッカー選手の柴崎岳。
    アニメ「魔法騎士レイアース」の大ファンである。DVD-BOX、脚本集、サントラ、声優のソングコレクションも所持している。
    FUNKY MONKEY BABYSのファンである。また、KARAや少女時代、4Minute、BEASTなどのK-POPにもはまっている。
    彼女が参加する重要なコンサートやイベントの日には雨が降ることが多く、ファンや他のハロプロメンバーから「雨女」と言われる。それについて、同じく雨女説のある℃-uteの矢島舞美と比較されることもある。
    性格は、マイペースで優柔不断。
    歴史上の人物で尊敬する者として挙げているのは、伊能忠敬。
    ハロプロの中で仲の良いのは、嗣永桃子と久住小春でプライベートで親交がある。
    ハロプロの先輩である、元モーニング娘。の道重さゆみと容姿が似ておりお互いその事に触れている。
    ハロプロDVDマガジンのトークにおいて数年後に元モーニング娘。の工藤遥がスーパー戦隊のヒロインになるのではと予言をし的中させた。
    AKB48の柏木由紀と親しく、互いのブログで触れ合うこともある。またSKE48・SNH48の宮澤佐江とも親交がある。
    坂田梨香子とは舞台「恋するハローキティ」で共演して以来仲が良い。
    好きな女優は吉高由里子と満島ひかり、「普段のキャラが強いのに、役によっては全然別人になるところがすごくいいなって」。大人っぽさへの憧れは強く、今後目標とする女優には満島ひかりを指名。
    アイドル時代の髪型は基本的にはショートカット。2014年5月から出演中のケンタッキー・フライド・チキン「Krushers(クラッシャーズ)」のCM・広告でロングヘアーを披露しているが、これは商品イメージの演出効果のためにエクステンションを付けて撮影したものである。
    シンガーソングライターの瀧川ありさとは親友である。雑誌の対談をきっかけに出会い、同じ1991年生まれで身長も同じだったこともあり意気投合。プライベートで一緒に遊園地へ遊びに行くなど親睦を深め、瀧川のアルバムリリースイベントでは2人で双子ダンスを披露した。
    アルバイト経験はないため、会社勤めの役は難しいと語っている。
作品
シングル
発売日 曲名 最高位
インディーズ(アップフロントワークス)
1 2008年6月29日 マノピアノ 圏外
2 2008年10月4日 ラッキーオーラ
3 2008年12月13日 ラララ-ソソソ
メジャー(アップフロントワークス/hachama)
1 2009年3月18日 乙女の祈り 5位
2 2009年5月20日 はじめての経験 6位
3 2009年7月29日 世界は サマー・パーティ 10位
4 2009年9月30日 この胸のときめきを 7位
5 2009年11月25日 Love & Peace = パラダイス 12位
6 2010年2月24日 春の嵐 10位
7 2010年5月12日 お願いだから… 10位
8 2010年9月15日 元気者で行こう! 7位
9 2011年1月26日 青春のセレナーデ 13位
10 2011年6月29日 My Days for You 10位
11 2012年2月22日 ドキドキベイビー/黄昏交差点  9位
12 2012年6月27日 Song for the DATE 7位
13 2012年12月12日 NEXT MY SELF 8位
コラボレーション
    負けるな わっしょい!(2011年8月6日(コンサート限定発売)、アップフロントワークス。2011年12月21日(一般販売)、アップフロントワークス/zetima。) – ベキマス名義
    ブスにならない哲学(2011年11月16日、アップフロントワークス/zetima) – ハロー!プロジェクト モベキマス名義
アルバム
発売日 曲名 最高位
1 2009年12月16日 FRIENDS 33位
2 2010年11月24日 MORE FRIENDS 32位
3 2012年3月28日 More Friends Over 27位
ベスト 2013年2月6日 BEST FRIENDS 35位
映像作品
    マノグアム(2009年4月1日)オリコン38位
    真野恵里菜デビューコンサート「プロローグ 〜乙女の祈り〜」(2009年8月5日)
    真野恵里菜ファーストコンサートツアー「Introduction 〜はじめての感動〜」(2009年12月22日)
    マノガイド in 屋久島(2010年1月27日)
    スペシャルジョイント 2010春 〜感謝満開!真野恵里菜2周年突入&スマイレージ メジャーデビューへ桜咲け!ライブ〜(2010年6月16日)
    From Days(2011年6月22日)
    真野恵里菜コンサートツアー 〜2011ハタチの乙女 801DAYS〜(2011年9月21日)
    マノソナタ〜10回目のレッド・センセーション 真野恵里菜10thシングル発売記念イベント(2011年11月9日)
    UP TO DATE(2012年6月6日)
    真野恵里菜 コンサートツアー2012 〜DATE〜(2012年9月26日)
    真野恵里菜 メモリアルコンサート 2013「OTOME LEGEND 〜For the Best Friends」(2013年5月22日)
シングルV
    シングルV「乙女の祈り」(2009年3月25日)
    シングルV「はじめての経験」(2009年6月3日)
    シングルV「世界は サマー・パーティ」(2009年8月5日)
    シングルV「この胸のときめきを」(2009年10月7日)
    シングルV「Love & Peace = パラダイス」(2009年12月2日)
    シングルV「お願いだから…」(2010年5月19日)
    シングルV「元気者で行こう!」(2010年9月22日)
    シングルV「青春のセレナーデ」(2011年2月2日)
    シングルV「My Days for You」(2011年7月6日)
    シングルV「ドキドキベイビー」(2012年2月29日)
PV集
    真野恵里菜シングルVクリップス①(2010年3月3日)
    真野恵里菜 全シングル MUSIC VIDEO Blu-ray File 2011(2011年12月21日)
    真野恵里菜 シングルVクリップス②(2012年7月11日/DVD、8月8日/Blu-ray)
その他
    Pocky 4 Sisters!(2009年8月19日) – 大政絢、真野恵里菜、岡本杏理、金井美樹
    恋する星座(2009年11月4日)
    真野恵里菜主演舞台「恋するハローキティ」(2010年2月17日)
タイアップ
楽曲 タイアップ 収録作品
はじめての経験 TBS『メガデジ』エンディング・テーマ
TBS オリジナルネットドラマ『恋する星座』テーマソング 2ndシングル「はじめての経験」
この胸のときめきを テレビ東京系『キティズパラダイス peace』エンディング・テーマ 4thシングル「この胸のときめきを」
Love & Peace = パラダイス テレビ東京系『キティズパラダイス peace』エンディング・テーマ
舞台『恋するハローキティ』挿入歌 5thシングル「Love & Peace = パラダイス」
OSOZAKI 娘 テレビ朝日 クリスマスキャンペーン イメージソング 1stアルバム「FRIENDS」
いつもいつでも CSフジテレビTWOドラマ『半分エスパー』エンディング・テーマ
まつげの先に君がいる TBS オリジナルネットドラマ『マノスパイ』テーマソング
春の嵐 GREECMソング 6thシングル「春の嵐」
ハロー! エスパー! ハロー! CSフジテレビTWOドラマ『半分エスパー』オープニング・テーマ
家へ帰ろう 映画『怪談新耳袋 怪奇』主題歌 8thシングル「元気者で行こう!」
ドキドキベイビー 舞台「キバコの会 第三回公演『ギターを待ちながら』テーマソング 11thシングル「ドキドキベイビー/黄昏交差点」
黄昏交差点 オリジナルアニメーションDVD「君のいる町」テーマソング
Ambitious! THE NEXT GENERATION パトレイバー 主題歌 THE NEXT GENERATION パトレイバー オリジナル・サウンドトラック
大切なキセキ THE NEXT GENERATION パトレイバー 主題歌 THE NEXT GENERATION パトレイバー オリジナル・サウンドトラック2
出演
映画
    怪談新耳袋 怪奇(2010年9月4日、キングレコード) – 主演[注釈 3]
    Abed〜二十歳の恋 「貴子」(2010年、ピース・インターナショナル) – 主演・南貴子 役[注釈 4]
    美雪の風鈴(2011年) – 主演・美雪 役
    仮面ライダー×仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦MEGA MAX(2011年12月10日、東映) – 美咲撫子 / 仮面ライダーなでしこ(声) 役
        仮面ライダー×仮面ライダー ウィザード&フォーゼ MOVIE大戦アルティメイタム(2012年12月8日)
    わが母の記(2012年4月28日、松竹) – 貞代 役
    劇場版 SPEC〜結〜 爻ノ篇(2013年11月29日、東宝) – サトリ 役
    THE NEXT GENERATION -パトレイバー-(松竹メディア事業部) – 主演・泉野明 役[注釈 2]
        第1章(2014年4月5日)
        第2章(2014年5月31日)
        第3章(2014年7月12日)
        第4章(2014年8月30日)
        第5章(2014年10月18日)
        第6章(2014年11月29日)
        第7章(2015年1月10日)
        THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦(2015年5月1日、松竹)
    新宿スワン(2015年5月30日、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント) – 栄子 役
    ラブ&ピース(2015年6月27日、アスミック・エース) – 女子高生 役
    リアル鬼ごっこ(2015年7月11日、松竹 / アスミック・エース) – いずみ 役(トリンドル玲奈、篠田麻里子とトリプル主演)
    東京PRウーマン(2015年8月22日、BS-TBS) – アイドル 役(カメオ出演)
    映画 みんな!エスパーだよ!(2015年9月4日、ギャガ) – 浅見紗英 役
    orange(2015年12月12日、東宝) – 上田莉緒 役
    闇金ウシジマくん ザ・ファイナル(2016年10月22日、東宝) – 樫原あむ(新人ちゃん)役
    君と100回目の恋(2017年2月4日、アスミック・エース) – 相良里奈 役
    覆面系ノイズ(2017年11月25日、松竹) – 珠久里深桜 役
    不能犯(2018年2月1日、ショウゲート) – 木村優 役
    坂道のアポロン(2018年3月10日、東宝 / アスミック・エース) – 深堀百合香 役
    BLEACH(2018年7月20日、ワーナー・ブラザース映画) – 井上織姫 役
    青の帰り道(2018年冬公開予定) – 主演
テレビドラマ
    Pocky 4 Sisters!〜出せない手紙〜(2008年12月27日、BS-i) – 木所エリナ 役[注釈 5]
    東京少女 真野恵里菜(2009年2月7日 – 28日、BS-i) – 主演[注釈 6]
    半分エスパー(2010年1月15日 – 3月19日、フジテレビTWO) – 主演・マノエリナ 役
    SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜 第7話(2010年11月26日、TBS) – サトリ 役
        SPEC〜翔〜(2012年4月1日)
    FACE MAKER 第11話(2010年12月16日、読売テレビ) – 黒田理子 役
    数学♥女子学園(2012年1月11日 – 3月28日、日本テレビ) – 白金麗子 役
    ダーリンは70歳 奥様は18歳(2012年3月30日、BS-TBS) – 岡本恵里菜 役
    みんな!エスパーだよ!(2013年4月12日 – 7月5日、テレビ東京) – 浅見紗英 役
        みんな!エスパーだよ!番外編 〜エスパー、都へ行く〜(2015年4月3日、テレビ東京) – 浅見紗英 役
    二十四の瞳(2013年8月4日、テレビ朝日) – 香川マスノ 役
    報道ドラマ 生きろ〜戦場に残した伝言〜(2013年8月7日、TBS) – 具志よし子 役
    人生、成り行き〜天才落語家・立川談志 青春疾風録〜 前編(2013年8月11日、NHK BSプレミアム) – 松岡則子 役
    世にも奇妙な物語’13秋の特別編 「人間電子レンジ」(2013年10月12日、フジテレビ) – 久米朋美 役
    MISSION 001〜みんなでスペースインベーダー〜(2014年1月3日、テレビ東京) – 隊長 役[注釈 7]
    SHARK(2014年1月11日 – 3月29日、日本テレビ) – 大川美紅 役
    東京ガードセンター 第6話(2014年5月15日、Dlife) – 野島千春 役
    ママが生きた証(2014年7月5日、テレビ朝日) – 真鍋聡子 役
    だましゑ歌麿IV(2014年9月6日、テレビ朝日) – 高島ひで 役
    妻たちの新幹線(2014年10月25日、NHK名古屋) – 島久美子 役
    理系の人々・理系女子編(2014年10月27日、ひかりTV VOD) – おのでら役
    素敵な選TAXI 第4話(2014年11月4日、関西テレビ) – 朝倉明日香 役
    ジョナ散歩 第1話(2015年1月8日、NHK Eテレ) – 小林 役
    科捜研の女 新春スペシャル(2015年1月18日、テレビ朝日) – 白石麻由 役
    雲霧仁左衛門2(2015年2月27日、NHK BSプレミアム) – おひさ 役
    怪奇恋愛作戦 第9話・第10話(2015年3月6日・13日、テレビ東京) – 霧島霞 役
    ランチのアッコちゃん(2015年5月12日 – 6月30日、NHK BSプレミアム) – 猪木沙織 役
    となりの関くんとるみちゃんの事象「るみちゃんの事象」(2015年7月 – 9月、MBS) – 吉田くみこ 役
    結婚式の前日に(2015年10月13日 – 12月15日、TBS) – 広瀬真菜 役
    ハッピー・リタイアメント(2015年10月18日、テレビ朝日) – 樋口マナミ 役
    武道館(2016年2月6日、フジテレビ) – 尾見谷杏佳(元NEXT YOUメンバー) 役
    検事・悪玉(2016年-、テレビ朝日系) – 善田まなみ 役
        第1作(2016年3月19日、土曜ワイド劇場)
        第2作(2018年6月10日、日曜プライム・ドラマスペシャル)
    カッコウの卵は誰のもの(2016年3月27日 – 5月1日、WOWOW) – 今井恵里香 役
    連続テレビ小説 とと姉ちゃん(2016年5月27日 – 6月15日、NHK) – 早乙女朱美 役
    逃げるは恥だが役に立つ(2016年10月11日 – 12月20日、TBS) – 田中安恵 役
    ドラマスペシャル 佐方貞人シリーズ「検事の本懐」(2016年12月3日、テレビ朝日系) – 清水沙代 役
    シリーズ江戸川乱歩短編集II 妖しい愛の物語 第1回「何者」(2016年12月26日、NHK BSプレミアム) – 志摩子 役
    増山超能力師事務所 第7話(2017年2月16日、日本テレビ) ‐ 畑中葵 役
    スリル!〜黒の章〜弁護士・白井真之介の大災難 第3話(2017年3月12日、NHK BSプレミアム) – 村口 早苗 役
    この世にたやすい仕事はない(2017年4月6日 – 5月25日、NHK BSプレミアム) – 主演・霧中かすみ 役
    釣りバカ日誌 Season2〜新米社員 浜崎伝助〜 第7話(2017年6月9日、テレビ東京) – 釣りガール・貞松祐実 役
    日曜ワイド 白い刑事 (2017年10月22日、テレビ朝日) – 渋谷美里 役
    刑事ゆがみ 第9話(2017年12月7日、フジテレビ) – 子門真佐子 役
    相棒 Season16 第11話(2018年1月10日、テレビ朝日) – 岡村咲 役
    KISSしたい睫毛(2018年3月6日 – 3月27日、フジテレビ) – 浮島多恵 役
テレビバラエティ
    ベリキュー!(2008年3月31日 – 10月3日、テレビ東京他)
    よろセン!(2008年10月6日 – 2009年3月27日、テレビ東京他) – レギュラー
    キティズパラダイスpeace(2009年10月6日 – 2010年9月28日、テレビ東京他) – レギュラー
    美女学(2010年4月1日 – 2011年4月14日、テレビ東京他) – レギュラー
    ハロプロ!TIME(2011年4月21日 – 2012年5月31日、テレビ東京他)
    ハロー!SATOYAMAライフ(2012年6月7日 – 2013年2月28日、テレビ東京他)
OAD
    君のいる町(2012年3月16日・6月15日、講談社) – 古葉遥奈 役
ラジオ
    MANO-DELI(2009年4月5日 – 2011年3月27日、エフエム富士)
    AVALON(2017年10月27日 – 2018年8月31日、J-WAVE) – 不定期出演
Webドラマ
    恋する星座(2009年4月6日 – 6月25日、TBSネット配信) – 主演[注釈 8]
    マノスパイ(2010年1月26日 – 3月30日、TBSネット配信) – 主演・真野恵里菜 役
    デス・ゲーム・パーク(2010年4月20日 – 、全24話、BeeTV) – ヒロイン・遠藤涼子 役
    理系の人々(2014年10月27日 – 、全42話、ひかりTV) – 主演・おのでら 役
    彼氏をローンで買いました(2018年3月9日配信開始、全8話、dTV / FOD) – 主演・浮島多恵 役
    SPECサーガ黎明篇「サトリの恋」(2018年9月28日 – 11月2日、全6話、Paravi) – 主演・星慧 役
インターネット放送
ニコニコ生放送
ニコニコ生放送における出演。コーナーゲストを除く。
    とりあえず生中(二杯目)(2010年2月1日)
    元気者はすばらしい! 言いたいことは言っちゃいな!(2010年9月15日)
    真野恵里菜 DVD発売記念「元気者は10月も素晴らしい!言いたいことは言っちゃいな!」(2010年10月9日)
    真野恵里菜 「元気者で行こう!」in 東京タワー 元気者は寒くなっても素晴らしい!言いたい事は言っちゃいな!(2010年11月13日)
    真野恵里菜11thシングル発売記念イベント『ドキドキ交差点』生中継(2012年2月22日)
Ustream
    Ustreamにより「真野ストリーム生です!!」と題して不定期に実施していた。
AbemaTV・Abemaビデオ
    ハロプロ20周年オーディション(2017年11月27日・12月4日) – ナレーション
舞台
    「歌だ!祭りだ!〜BS・TBSサマーパーティーin赤坂BLITZ!ファン感謝祭歌謡祭〜」(2009年8月27日)ゲスト
    恋するハローキティ(2009年11月11日 – 19日、青山円形劇場)
    コンドルズアジアツアー凱旋東京公演・春 『狼たちの午後 Hungry Like a Wolf』(2010年3月25日、世田谷パブリックシアター) – ゲスト出演
    キバコの会 第二回公演『フォトジェニック』(2010年4月14日 – 4月18日、ザ・スズナリ)
    つばき、時跳び(2010年8月1日 – 8月29日、明治座)
    美男ですね(2011年10月8日 – 11月27日、赤坂ACTシアター・KAAT神奈川芸術劇場・森ノ宮ピロティホール・キャナルシティ劇場) – NANA 役
    リアルエチュード みんなの家(2011年11月10日、赤坂BLITZ)
    リーディングドラマ「もしもキミが。」-Last Christmas(2011年12月21日・25日、紀伊國屋ホール)
    キバコの会 第三回公演『ギターを待ちながら』(2012年2月8日 – 2月19日、赤坂RED/THEATER)
    LOVE LETTERS 2012 Spring Specail(2012年3月12日、PARCO劇場)
    BS-TBS五月ステージ 朗読劇「放送禁止。」(2012年5月17日、青山円形劇場)
    ウサニ(2012年8月3日 – 26日、ル テアトル銀座) – 主演・ウサニ 役(平野綾とのダブルキャスト)
    悼む人(2012年10月19日 – 12月9日、PARCO劇場・森ノ宮ピロティホール・アステールプラザ・中日劇場・キャナルシティ劇場・松山市総合コミュニティセンター・まつもと市民芸術館・札幌市教育文化会館・電力ホール・りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館・KAAT 神奈川芸術劇場) – 坂築美汐 役
    キバコの会 第四回公演『ギターを待ちながら』〜やったぜ!本多スペシャル!〜(2013年2月8日 – 2月17日、本多劇場)
    キバコの会 第五回公演『KAKOCHI-YA』(2014年9月18日 – 9月28日、赤坂RED/THEATER)
    ベター・ハーフ(2015年4月3日 – 5月5日、本多劇場・サンケイホールブリーゼ・よみうり大手町ホール)
    グランドホテル(2016年4月9日 – 5月8日、赤坂ACTシアター・愛知県芸術劇場大ホール・梅田芸術劇場メインホール) – フレムシェン 役(Team RED)
    朗読劇 私の頭の中の消しゴム 8th letter(2016年4月 – 5月、天王洲銀河劇場) – 薫 役
    僕だってヒーローになりたかった(2017年7月6日 – 7月23日俳優座劇場/7月25日 – 7月27日兵庫県立芸術文化センター)- 小中真子 役
CM・イメージキャラクター
    テレビ朝日 クリスマスキャンペーン(2009年)
    全国消防協会 平成22年度秋の火災予防運動ポスター(2010年)
    総務省 平成23年度電波利用環境保護活動用ポスター(2011年)
    キングソフト(2011年 – )
    日本ケンタッキー・フライド・チキン「Krushers(クラッシャーズ)」(2014年5月23日 – )
    スクウェア・エニックス「ファイナルファンタジー レコードキーパー」(2015年9月11日 – )
    建設業労働災害防止協会 平成28年度全国安全週間ポスター(2016年)
    黄桜「呑」(2016年9月3日 – )
    株式会社宣伝会議 『編集・ライター養成講座』イメージキャラクター(2016年9月 – 2017年1月) – 第34期
    首都高速道路 ETC2.0くん(2017年1月 – ) – 声担当
    ライク (2017年4月24日 – )
    エースコック「Pho・ccori気分」(2017年8月8日 – )
    株式会社エコスタイル
    花王「ロリエ スリムガード」(2017年10月14日 – )
    IDOM「ガリバーな2月の決算SALE」(2018年2月9日 – 28日予定)
ゲーム
    スーパーヒーロージェネレーション(2014年10月23日、PS3・PS Vita) – 仮面ライダーなでしこ 役
    仮面ライダー ストームヒーローズ(2016年、Android・iOS) – 仮面ライダーなでしこ 役
    ディシディア ファイナルファンタジー(2016年、アーケードゲーム) – マーテリア 役
    オール仮面ライダー ライダーレボリューション(2016年、3DS) – 仮面ライダーなでしこ 役
    ディシディア ファイナルファンタジーNT(2018年1月11日、PS4) – マーテリア 役
Web
    真野恵里菜 インタビュー(モッテコ書店、2010年2月25日)
コンサート・イベント
単独コンサート
    真野恵里菜デビューコンサート「プロローグ 〜乙女の祈り〜」(2009年6月6日・13日、2都市4公演)
    真野恵里菜ファーストコンサートツアー「Introduction 〜はじめての感動〜」(2009年9月13日 – 22日、3都市6公演)
    真野恵里菜コンサートツアー2011〜ハタチの乙女 801DAYS〜(2011年5月28日・6月11日、2都市4公演)
    真野恵里菜コンサートツアー2012〜DATE〜(2012年6月9日・6月16日・6月23日、3都市6公演)
    真野恵里菜コンサートツアー2013「OTOME LEGEND〜For the Best Friends」(2013年2月23日、中野サンプラザ 2公演)
    真野恵里菜コンサートツアー2014「again〜ライブハウスで燃え尽きよう!〜」(2014年6月8日・6月29日、2都市4公演)
    真野恵里菜コンサートツアー2016初春 〜GRAND Escalation〜(2016年1月10日・1月17日、2都市4公演)
合同コンサート
    感謝!ハタチのシャ乱Q みんなでお祝いだ!日本武道館フェスティバル〜長いよ〜(2009年12月6日、日本武道館)
    スペシャルジョイント 2010春 〜感謝満開!真野恵里菜2周年突入&スマイレージ メジャーデビューへ桜咲け!ライブ〜(2010年)
    ありえりの会(2017年11月5日、新宿BLAZE) – 瀧川ありさとの共同プロデュースによるライブイベント。
ハロー!プロジェクト 合同コンサート
    Hello! Project 2008 Summer ワンダフルハーツ公演〜避暑地でデートいたしまSHOW〜(2008年7月19日 – 8月3日、3都市9公演)
    Hello! Project 2009 Winter ワンダフルハーツ公演 〜革命元年〜(2009年1月2日 – 25日、3都市13公演)
    Hello! Project 2009 Winter エルダークラブ公演 〜Thank you for your LOVE!〜(2009年1月10日 – 24日、3都市8公演) – スペシャルゲスト
    Hello! Project 2009 Winter 決定! ハロ☆プロ アワード’09 〜エルダークラブ卒業記念スペシャル〜(2009年1月31日・2月1日、横浜アリーナ 3公演)
    Hello! Project 2009 SUMMER 革命元年 〜Hello! チャンプル〜(2009年7月19日 – 8月9日、3都市12公演)
    Hello! Project 2010 WINTER 歌超風月 〜モベキマス!〜(2010年1月2日 – 23日、3都市14公演)
    Hello! Project 2010 WINTER 歌超風月 〜シャッフルデート〜(2010年1月5日 – 24日、3都市8公演)
    Hello! Project 2010 SUMMER 〜ファンコラ!〜(2010年7月18日 – 8月8日、4都市14公演)
    Hello! Project 2011 WINTER 〜歓迎新鮮まつり〜 Aがなライブ/Bっくりライブ(2011年1月2日 – 23日、3都市20公演)
    Hello! Project 2011 SUMMER 〜ニッポンの未来は〜 WOW WOWライブ/YEAH YEAHライブ(2011年7月16日 – 8月14日、3都市18公演)
    Hello! Project 2012 WINTER 〜ハロ☆プロ天国〜 ロックちゃん/ファンキーちゃん(2012年1月2日 – 22日、3都市19公演)
    Hello! Project 誕生15周年記念ライブ 2012 夏 〜Ktkr(キタコレ)夏のFAN祭り!〜/〜Wkwk(ワクワク)夏のFAN祭り!〜(2012年7月21日 – 8月19日、3都市18公演)
    Hello! Project 誕生15周年記念ライブ 2013 冬 〜ビバ!〜/〜ブラボー!〜(2013年1月2日 – 2月3日、4都市24公演)
    Hello! Project COUNTDOWN PARTY 2013 〜GOOD BYE & HELLO!〜(2013年12月31日、中野サンプラザ)
    Hello! Project 20th Anniversary!! Hello! Project 2018 SUMMER 〜ALL FOR ONE〜(2018年8月5日、中野サンプラザ、夜公演) – ゲスト出演
オープニングアクト
2008年
    ℃-uteコンサートツアー2008夏〜忘れたくない夏〜(8月16日・17日、松戸・森のホール21 8月24日、アクトシティ浜松 8月30日、パシフィコ横浜国立大ホール 9月14日、NHK大阪ホール 9月21日、愛知厚生年金会館 9月23日、八王子市民会館)
    Berryz工房コンサートツアー2008秋〜ベリコレ!〜(9月6日・7日、八王子市民会館 9月13日、ハーモニーホール座間 9月15日、中京大学文化市民会館オーロラホール)
    モーニング娘。コンサートツアー2008秋〜リゾナントLIVE〜(9月27日・28日、ハーモニーホール座間 10月12日・13日、名古屋市公会堂大ホール 10月18日、群馬県民会館 11月2日、東京厚生年金会館 11月29日・30日、梅田芸術劇場メインホール)
    安倍なつみコンサートツアー2008秋〜Angelic〜(10月25日、大阪厚生年金会館 11月9日、中野サンプラザ)
2009年
    モーニング娘。コンサートツアー 2009春 〜プラチナ9DISCO〜(5月2日・3日、中野サンプラザ 5月9日・10日、東京厚生年金会館)
    Berryz工房コンサートツアー 2009春 〜そのすべての愛に〜(5月4日、大阪厚生年金会館)
    ℃-uteコンサートツアー 2009春 〜AB℃〜(5月5日・6日、中野サンプラザ)
イベント
    ハロプロエッグデリバリーステーション!02(2007年10月20日、サンストリート亀戸)
    真野恵里菜の大英帝国シークレットステージ(2010年1月30日、shimokitazawa GARDEN)
        出演:真野恵里菜、佐野和真、大堀こういち 他 ゲスト:高橋愛
    ブレイクスルーJAPAN2010「堤幸彦フェスタ」(2010年8月3日、SPACE107)
        出演:堤幸彦、真野恵里菜、ZINGI、中吉、夜ふかしの会
        堤幸彦と共に進行役をつとめた。
    真野ストリーム生です!!夏の公開ユーストリームスペシャル(2010年8月17日、SPACE107)
        出演:真野恵里菜、ゲスト:矢島舞美(℃-ute)
    TOKYO IDOL FESTIVAL 2011(2011年8月27日、お台場青海特設会場)
    寄席LIVE3(2012年4月19日、赤坂BLITZ)
書籍
写真集
    真野恵里菜(2009年2月10日、ワニブックス、撮影:西田幸樹)ISBN 978-4847041532
    天国のドア(2010年1月20日、ワニブックス、撮影:丸谷嘉長)ISBN 978-4847042362
    MANO DAYS〜二十歳の初恋〜(2011年6月10日、ワニブックス、撮影:栗山秀作)ISBN 978-4-8470-4362-8
    MANO DATE(2012年5月23日、ワニブックス、撮影:栗山秀作)ISBN 978-4-8470-4462-5
    真野恵里菜フォトブック「まのなの」(2013年2月23日、ワニブックス、撮影:オノツトム、海猫沢めろん)ISBN 978-4847045332
    まのちゃん〜Dear Friends〜(2013年9月27日、ワニブックス、撮影:長野博文)ISBN 978-4847045844
    ZERO(2014年8月27日、ワニブックス、撮影:西田幸樹、佐藤裕之)ISBN 978-4847046773
    Escalation(2015年9月19日、ワニブックス、撮影:栗山秀作)ISBN 978-4847047831
    陽炎 – KAGEROH – (2016年11月25日、ワニブックス、撮影:西田幸樹)ISBN 978-4847048760
    ERINA(2018年3月6日、ワニブックス、撮影:栗山秀作)ISBN 978-4847049934
雑誌連載
    B.L.T.「うふふぺでぃあ」(2009年4月24日 – 2011年4月23日、東京ニュース通信社)
    月刊De☆View「まの☆Style」(2009年7月1日 – 2013年3月1日、オリコン・エンタテインメント)
    CD&DLでーた「まののまま」(エンターブレイン)
雑誌モデル
    JJ (雑誌) – Sサイズモデル
参加ユニット
    通常ユニット
        音楽ガッタス(2007年 – 2008年)
    シャッフルユニット
        プッチモニV(2009年 – 2013年)

        ハロー!プロジェクト モベキマス(2011年)

 

スリムガードのCM出演者は誰?

スリムガードのCMについて調べました。

 

CMはこちら。

花王 ロリエ 昼も夜も スリムガード 30秒 CM 真野恵里菜

花王 ロリエ 気分上がる篇 15秒 CM

出演しているのは「真野 恵里菜(まの えりな)」さんです。

真野 恵里菜さんのプロフィールはこちらです。

 

 

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